次第に戦意をそがれていったハマス
今回の停戦合意に至るまでには、紆余曲折がありました。
戦闘が始まった後、短期間ですが停戦が実現したことがあります。2023年11月、米国とカタール、エジプトの仲介で1週間の停戦が成立し、ハマスとイスラエルの双方が人質の一部を解放しました。しかし、戦闘は完全にはやまず、互いに相手を「停戦破り」と非難して戦いはさらに拡大しました。

国連安全保障理事会は繰り返し即時停戦を求める決議案の採択を試みましたが、イスラエルを支援する米国が拒否権を行使して実現せず、米国に対する批判が強まります。その一方で、バイデン米大統領は2024年5月、「6週間の停戦」「恒久的戦闘停止宣言」「復興」の3段階からなる停戦案を提唱。国連安保理もバイデン案を支持する決議を採択し、この案に基づいて米、カタール、エジプトを介しての停戦交渉が再び始まっていました。
交渉は難航を極めましたが、合意に至った決め手はイスラエルの圧倒的な軍事力によるハマスの弱体化だったと言えるでしょう。
2024年7月、ハマスの最高指導者ハニヤ氏がイランで暗殺され、同10月には停戦合意反対の急先鋒だった指導者のシンワル氏がイスラエルの攻撃で死亡しました。ハマスは次第に戦意をそがれていきます。
ハマスを支援する勢力も結束が弱まりました。レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラは、イスラエルへのミサイル攻撃を続けていましたが、イスラエル軍の反攻を受けて2024年11月にイスラエルと停戦合意を結びます。
ヒズボラを支援するイランは翌12月、シリアのアサド政権崩壊によってヒズボラへ武器などを補給するルートを閉ざされました。ハマス、ヒスボラ、イエメンの武装組織フーシ派などイランを中心とする「抵抗の枢軸」は大きく勢力を失ったのです。