恐怖、絶望、そして悪い噂

 津波被害がなかったとはいえ、この火災が被害を大きくしたとされる。中には、家屋が倒壊したものの地震保険に加入していない人たちが、火災保険なら適用になるだろうと、火をつけたと噂する人たちまでいた。

 建物の倒壊に火災。寒さの中での避難生活。そこに襲う余震の恐怖。

 同行したカメラマンもドライバーも、前日までまったく知らない人たちだった。それで私の要請にいっしょに被災現場に入った。予想外のことも多かったはずだ。緊張もしただろう。あの大きな余震の瞬間、カメラマンが私にレンズを向けたのは同じ恐怖心と動揺からどうしていいのか、私に答えを求めたかったからではないのか。そこに映し出されていた、どうすることもできないでいる無力な自分の姿。本当に情けなかった。自分のスタッフを守る覚悟も足りなかった。そこであらためて震災の恐怖を知る。

 あれから30年。東日本大震災の現場も取材した。大きな揺れが襲えば、誰もが動揺する。私のように情けない姿を露呈するかもしれない。救えなかった命もあった。それでも、家族であったり、避難所で初めて出会う他人であったり、それぞれが支え合って生き抜いてきた姿も見てきた。人が生きる逞しさも教えてもらったつもりだ。

 それから車中泊で共に過ごし、その翌日も取材に動き回った福岡のカメラクルー、岡山のタクシーとは日が暮れる頃に神戸市役所の前で別れた。撮影したテープ素材などを持って、私が帰京することになったからだ。彼らは西に、私は東へ。あれから30年が経つが、いま彼らはどうしていることだろうか。