(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)
突然の大きな揺れに、どうすることもできず、ただ佇み、怯え、慌てふためくだけの自分の姿を客観的に、それも映像で見たことのある人間はどれだけいるだろうか。私はそんな自分の情けない姿を、自分の目で見たことがある。いまから30年前の阪神淡路大震災の現場でのことだった。わかっているつもりでいても、直面する現実に無力でしかないことを思い知らされた瞬間だった。
マグニチュード7.3、最大震度7の巨大地震が6434人の命を奪った阪神淡路大震災の発生から、今年の1月17日で30年の節目を迎える。あの日に感じたことを、いま振り返りたい。
余震に狼狽するレポーター
当時の私はテレビの在京キー局の報道情報番組のスタッフとして、その当日のうちに神戸市内に入って、夜にはカメラクルーと被災現場を取材していた。
ある学校の体育館が避難所となっていた。だが、その中に入らずに寒い夜空の下で震えながら過ごす家族があった。マイクを向けて理由を尋ねる。
「あそこの体育館の壁にヒビが入っている。余震で崩れるかもしれない。そうなると、安心して建物の中にいられない」
確かに、被災者が集まった体育館のコンクリートの側壁には、以前からのものなのか、今回の地震によるものなのか、大きなヒビが縦に走っていた。倒壊した建物、家屋は学校の周辺にもあった。恐怖心の裏付けにもなっている。そのインタビューの最中だった。大きな余震が襲った。家族が悲鳴をあげる中、驚いたカメラマンが、そのままレンズを私に向けた。
後日、その瞬間に「ああ! 揺れてる! 揺れてる!」と慌てふためいている私の姿が、番組内で放送されていた。別のスタッフが編集したものだったが、最初は自分であることがわからなかった。動揺ぶりがコミカルにも見えた。だが、それが自分だと知った時、急に情けなくなった。そして、カメラマンがどうして私にレンズを向けたのか、想像して恐ろしくもなった。