(髙城 千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)
TBSの人気番組「世界遺産」の放送開始時よりディレクターとして、2005年からはプロデューサーとして、20年以上制作に携わった髙城千昭氏。世界遺産を知り尽くした著者ならではのセレクト、意外と知られていない裏側をお届けします。
復元によって破壊されたパルテノン神殿
古代ギリシャの都市国家アテネ。夕暮れ時、その街を見晴るかすリカヴィトスの丘に登って、ほの紅く染まるエーゲ海を背にして断崖にそそり立つパルテノン神殿を目にすると、2500年の昔が胸に忍びよる。ここで、哲学者アリストテレスやプラトンが暮らし、民主主義や選挙がはじまり、数学や医学が芽生えた。世界遺産「アテネのアクロポリス」とは、そんな都市の心臓部だ。
高さ70mの小高い丘の上は、神殿群がそびえる聖なる地であるとともに、敵の侵入をはばむ自然の要害でもあった。なかでも紀元前447年に建設が着手されたパルテノン神殿は、街の守護神・女神アテナに捧げられたもの。白亜の大理石をふんだんに使い、周囲にぐるりと46本の円柱が配され、三角屋根の破風(ペディメント)や梁上(メトープ)には、リアルな肌触りさえ感じる神像や高浮き彫りがはめ込まれた。まさに建築と彫刻が一体化した美の極致! それが建築の原点として、ヨーロッパから世界へと広がっていった。
アメリカの最高裁判所や大英博物館の玄関口を見ると、いかにギリシャ建築に人類があこがれを抱いたのかが伝わってくる。
世界遺産条約の生みの親・ユネスコは、このパルテノン神殿の正面に「UNESCO」の6文字を配したデザインをエンブレムに採用した。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」(ユネスコ憲章前文)。世界遺産は、こうした理念の表れだ。古代ギリシャ文明の建築は、今ではユネスコによって「英知のシンボル」にもなっている。
しかし、この未来に遺すべき宝は、修復プロジェクトが1975年に開始されたものの50年以上経っても一向に終わらない。原因は、20世紀初めに行われた復元にあった。修復という作業は、時に破壊さえもたらす諸刃の剣なのだ。