2時間目 和文英訳

 さて、いま①「初日の出」「門に寄り添う」の後に「白き峰」がくっついたのと、

②「大根や」+「赤き手袋の 子の列ぶ」をまな板に載せてみます。

「初日の出 門に寄り添う 白き峰」 の方は良いとして、後半は

「大根や 赤き手袋の 子も列び」と少し直してみます。「子」とすることで、子供たちだけでなく、引き抜いた大根も並べて干してある、情景のリズムができるでしょう?

 こんなのはちょっとしたいたずらで、2時間目はこれを英訳してみます。

 大根は訳しづらそうなので、てにをは、の和語のニュアンスで、今回はいいことにしましょう。

 すると、AIというのはちゃんと学習した内容は押さえているので直ちに

1 ソネット調で:

Lo, as the year's first light doth gently rise,

A snowy peak, majestic and serene,

Stands sentinel beside the gate, and vies

With dawn to paint the world in silver sheen.

2 劇中のセリフ風に:

Behold! The sun's first golden ray

Doth kiss the mountain's snow-capped crown,

Which, like a guardian old and grey,

Beside our humble gate bows down.

3 比喩を多用して:

What's this? A mountain peak of white,

Like ancient sage with beard of snow,

Leans close our gate to greet the light

Of New Year's sun, all aglow.

 しっかり韻まで踏んでくれています。

 ソネットの1、3行目の rise と vies

 2、4行目の serene と sheen.

 セリフの1、3行目の ray と grey

 2、4行目の crown と down.

 最後の1、3行目の white と light

 2、4行目の snow と aglow.

「AI」がこうした言葉遊びや言語の構造化、文学研究に本質的に役立つ事実は、もしご存じなければ、この際ぜひ印象にとめてください。

 これは当たり前なのです。ChatGPT の"T" Transformer は元来、Translator 翻訳機に起因しており、LLMの大本、大規模言語モデルは電子計算機による「言語コーパス」を活用する「自然言語処理」技術に基礎を持ちます。

 第2次大戦後、米国ブラウン大学でコーパス言語学を創始したヘンリー・クチェラは、それ以前の言語学が「文法」等をもとに言語を解析していたのに対し、あるがままの言語の全体をデータとして電子計算機システムに取り込み、その巨大データを「観察」する、あるいは一定の統計的「働きかけ」を行い、それに対する「応答を見る」といった人類と言語との関係に、革命的な変化をもたらしました。

 その最初の応用が、実は「ヒトゲノム計画」の成功だったのです。

 ひと一人のゲノムという、複雑の極にありながら、決してランダムなばかりではない「自然の小説」の解読に、クチェラの自然言語処理は威力を発揮します。

 私が研究室を開いた1999年はヒトゲノム計画末期で、勃興期のIT情報への応用が始まったばかりでした。

 1期の今井健君は電子カルテ、医療情報に応用し、現在は東京大学医学部准教授として医療AIを牽引します。

 この時期インターネット上の商用情報に言語処理を活用し、広告費などで急成長したのが、できたばかりのグーグルやフェイスブック、そしてアマゾンやアップル のGAFA世代の各社、彼らはデータを集め、整形し解析して武器にすることで21世紀の急成長を遂げました。

 また並行して日本では2000~2010年代、その成長を遂げ損ねました。

「その二の舞を踏むな!」と、子供たちには教えています。さっきの「シェイクスピア風翻訳」は、

Leans close our gate to greet the light

Of New Year's sun, all aglow.

 と、なかなかそれらしい。

 これを換骨奪胎してその先の価値を力強く創り出していくのが、君らの腕の見せ所だと教え、実際に僕以外でも東大生、芸大生TAなどが目の前でやって見せると、面白いもので子供はすぐに適応するんですね。

 ここでは英語の細部は省略し、もっと本質的なことを記します。

 よろしいでしょうか。この程度の指導を日本全国の中学高校で、担任の英語の先生や国語その他の先生に期待できる時代になったというのが、STEMとかSTEAMといった、2022年で完全に用済みになった「プログラマー人材供給教育」以後、新しい人を育てる本質と覚えてください。

 これはもう一つ、「ゆとり教育」の失敗を、その原因から克服する教程の決定打という意味合いをもちます。

「ゆとり」を進めた故・有馬朗人氏は、私には高校―大学―物理学科―大学内外での上役・・・と長くお仕えした直の先輩でした。

 ゆとりなど感心しないことばかりでした。教育に手法がなかった。また指導者を指導する方法をもたなかった。

 でも有馬氏がやって、生涯で唯一(物理も含めて唯一)感心したのが、彼の「俳句」指導でした。

「古池や 蛙飛び込む 水の音・・・ カエルは何匹?」という質問。

 みんなキョトンとしているのですが、これは「俳句を英訳したとき、主語は単数、複数?」という問いで、なかなか秀逸でした。

 実際、夏目漱石の友人、小泉八雲の100年前の訳では

「Old pond - frogs jumped in - sound of water.」(小泉八雲=ラフカディオ・ハーン訳 )

 カエルはたくさんいるんですね。ところが、戦後のドナルド・キーンさんの訳では

「The ancient pond A frog leaps in The sound of the water.」(ドナルド・キーン訳)

 カエルのは「チャポン!」と1匹だけになる。

 もちろん正解はないわけですが、こういう推敲に生成AIを活用する教程は非常に有効です。

 なお「完全な翻訳システムができたら英語は必要ないから金融がどーたら」とかいう亡国の愚見がありましたが、芭蕉のカエル一つにしても1匹かたくさんかで意見は分かれます。

 生き馬の目を抜くビジネストーク、ビジネスレターの一言一句、丁々発止をご存じない、平和でドメスティックなご意見で、顧慮する意味がないことを添えておきます。

 生成AI翻訳は、出力のミスを校正できる英語力のある人だけが、やけどをせずに使いこなせるツ―ルなのです。

 自動翻訳出力やAI作文は、基本、出てきただけではどうしようもなく、それを吟味するのが責任を持つ人間の仕事です。

 それをSTREAMMでは小学低学年から自然に身に着ける教程が組まれていることも補足しておきます。