メジャーを真似して日本も2リーグ制に
日本のプロ野球は1936年にリーグ戦が始まったが、戦後、MLBに倣って「二大リーグ制」にすべきだという機運が高まり、1950年にセントラル・リーグ、パシフィック・リーグの2リーグ制となった。当コラムですでに紹介したが、リーグが分立する際にはルール無用の引き抜き合戦が起こった。これもあって両リーグの関係は非常に拗れ、1年目の1950年はオールスター戦も開催されなかった。
以後、日本シリーズやオールスター戦など両リーグ共同の試合もあるが、基本的には両リーグは「別個の組織」として運営されてきた。
公式審判や公式記録員もセ・パ両リーグで別個に雇用した。またシーズン記録をまとめた記録集も別々に発行。各リーグの試合日程も、別個にスケジューリングした。シーズン開幕日が別々になることも珍しくなかった。
両リーグの対抗心は激しく、1973年にパ・リーグがMLBに倣ってDH制を導入した時にはセ・リーグは同調しなかった。それだけでなく「野球の伝統を壊す」のように反対する理由を発表するなど、対抗心をあらわにした。
金田正一(セ・リーグ)と野村克也(パ・リーグ)、山本浩二(セ・リーグ)と有藤通世(パ・リーグ)など同時期の選手でも、セ・パ両リーグに分かれたために、公式戦で一度も対戦していないケースが多数あった。
MLBでも両リーグに分かれたため、対戦がない球団、選手はたくさんあった。しかしそれが「当たり前」だと思われてきた。
1994年から95年にかけて、MLBはかつてない長期間のストライキに揺れた。FA移籍する選手の年俸の引き上げを求める選手会と経営者が対立し、223日間ものストライキを行ったのだ。しかしこのストライキは「ミリオネア(選手)とビリオネア(経営者)の争い」と言われ、ファンは必ずしも選手の肩を持たなかった。結局、ファンの反感を買って野球人気は急落。7000万人だった観客動員は5000万人を割り込むところまで落ち込んだ。
労使は和解したが、MLBとしては人気を挽回するために、思い切った手を打つ必要が生じた。