ネット選挙で政治家の言葉は軽くなった
2013年にインターネットを使った選挙運動が解禁されてから、議員と政党のデジタルへの意識は劇的に変化した。
日本の選挙運動期間は短いと考えられてきた。衆院選で12日、参院選で17日。全国比例があって、全国で認知を獲得するのに時間がかかるということなどから参院選の選挙運動期間が長いと考えられている。
都道府県知事選挙は参院選と同じく17日。都道府県議会選挙は9日など選挙の種類ごとに異なるが、アメリカの大統領選挙が予備選挙もあわせれば年単位の期間で選挙運動が行われているが、それと比べれば相当短いことがわかる。
見方を変えれば、有権者の選挙に対する関心は、その短い選挙運動期間に集中する。
ネット選挙が解禁される前は、その選挙運動期間中にブログの更新が止まるといった有権者目線では相当非合理だったのだ。もちろんインターネットが現在よりもずっとマイナーだった。
ネット選挙の解禁が議論されていたときに、まことしやかに広がったのが「ネット選挙解禁が投票率を上げる」というナラティブであった。新しい技術が既存の権力関係を変化させる変化仮説という視点に依拠しているといえるが、学説的にはあまり支持されていなかった。
どちらからといえば、新技術やサービスも長い期間かけて既存の権力関係を強化するという通常化仮説が支持されているというのが筆者の認識だったが、ある種の「神話」として、今風にいえばナラティブとして変化仮説が強く支持されていた。
若者団体やNPO、スタートアップの創業者らが「ネット選挙解禁は投票率を上げる」という言説をリードした。
結果はどうか。日本の地方選挙で初めて解禁された福岡県中間市の市議会選挙の投票率は下がっている(50.61%⇒48.64%)。国政選挙で初めて適用された2013年夏の参院選もそうだ(57.92%⇒52.61%)。
その後の国政選挙も同様で、低投票率が続き、衆院選では2014年、2017年、2024年と戦後ワーストの投票率が並んでいる。
投票率とネットでのキャンペーンによる投票率向上をマクロには見出せないままである。社会の実態とナラティブのあいだに乖離があることはよくあることである。その意味では特別なことではない。
いずれにしても若者団体や政治家もその波に乗ったのである。期待と異なる結果になっても誰も責任を取ったりはしない。法的拘束力がないことから附則に書かれた検討事項も放置のまま。日本におけるネット選挙はこうして始まったのである。
それどころかマスメディアが凋落した今、ネットこそスタンダードになろうとしている。
動画や配信の普及で、問題はますますややこしくなっている。当初はSNSのアカウントを持っている政治家や政党は少数派だったが、現在では少なくない政治家や政党がネットで大量の発信を行うようになった。選挙となれば、なおさらだ。
そして情報の受け手である視聴者はSNSにある政治家の言葉を「1次情報」とみなし、そこにこそ政治家の「真意」があるとさえ考えるようになっている。
言うまでもないことだが、政治家の発信は「政治家の立場」を発信しているに過ぎない。最近は、政治家は明白な嘘だけは避けようとするはずだという規範すら相当揺らいでいる。政治の言葉はとにかく軽くなった。