SNSで可視化される「知ったか振り」

■落語『千早振る』のあらすじ

 先生と呼ばれている隠居(実は知ったか振り)のところに、八五郎が尋ねてくる。娘に小倉百人一首の在原業平『ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは』という歌の意味を教えてほしいとのことだった。

 隠居はどうせ本当に意味は知らないだろうということで、でたらめな解釈を披露する。

 竜田川は相撲取りのしこ名だ。大関にまで昇進した竜田川は、ひいきの客と吉原へ遊びに行き、花魁(おいらん)の「千早」に惚れてしまう。だが、千早は相撲取りが嫌いで、「振ら」れてしまう=『千早振る』。

 仕方なく竜田川は、妹分の花魁「神代」を口説く。神代も「姐さんが嫌なものは、わちきも嫌でありんす」と、言うことを聞かない=『神代も聞かず竜田川』。

 いくら大関になったとしてもこんな扱いかとがっかりした竜田川は、力士を廃業し、実家に戻って家業の豆腐屋を継ぐことになった。それからしばらくして、竜田川の店に一人の女乞食がやってきて、「おからを分けてくれ」と言う。

 もとより人情深い竜田川はやさしく対応しようとするのだが、なんとその乞食は落ちぶれた千早太夫の成れの果てだった。

 竜田川は激怒し、おからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばす。千早は、井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも因果と世をはかなみ、井戸に飛び込んだ=『から紅(くれない)に水くくる』。
 
 釈然としない八五郎に、隠居は、「ほら、一番初めが竜田川を千早が振ったから千早振るだ」と、いままでの説明をつなげる。明らかにインチキとわかる話に渋々八五郎は付き合うが、「『千早振る 神代も聞かず竜田川 からくれないに水くぐる』まではわかりましたが、最後の『とは』は何ですか?」と聞き返した。隠居は苦し紛れに答えた。

「とは、とは、千早の本名だった」

 前座噺の1つでいまでも頻繁に高座にかけられていますが、師匠の談志は同じ「知ったか振り」の噺として、「やかん」を十八番にしていました。

 実は落語には、「千早振る」や「やかん」のほか、「浮世根問」「転失気」「茶の湯」など、「知ったか振り」を笑う噺が結構多く残っています。

 仮説ですが、落語が成立し定着し始めた幕末から明治という時代を顧みると、「知ったか振り」の自称先生などのインチキな人が多く存在していたのではと推察します。

 ひるがえって現代。SNSでは各種「知ったか振り人間」があふれています。落語が生まれた時代よりはるかに情報化された社会となって、「知ったか振り人間」が可視化されるようになったとも言えないでしょうか。

 あの、公職選挙法違反だと問題になっているPR会社の女性社長しかり、知ったか振りとは言えないまでも、選挙活動の専門家に少しでもアドバイスを仰いでいたら、今回のような失態をさらすこともなかったのではないかと思います。