それが、私が東大に着任してこのかたの26年間だったと思います。
ちなみにその間、24年にわたって私が助教授ポストに留め置かれたことは、上記と一定の相関があると言えるかもしれません。
私のような存在があれこれ「王様は本当は裸」などと指摘すると、具合が悪いことが何かと少なくありませんでしたから。
本稿も長くなっていますので、簡潔に結論だけ記しますが、意味のない「数値目標」「数値指標」で何か意味あることをしているかのごとき愚策を、ひとまず大きく撤廃、ご破算に願うのが、危篤状態にある日本イノベーションを蘇生させる1の1であるのは間違いありません。
「10年スパンで人を育てる」
当たり前のことです。
6―3―3、小中高校の初等中等教育だけでも12年、大学+大学院修士あたりまで加えれば4+2=6ですから18年。
「博士課程」を云々するなら+3年で20年。
「20年先に創造的な人材を輩出」するべく、幼稚園入学時点から人を育てるような文部科学行政になっているでしょうか?
なってないわけです日本の文科省は。
保守本流の「初等中等教育局」と、やや傍系の「高等教育局」という縦割り時点ですでにバラバラ事件。
加えて1部署に2~3年しか腰掛けない人事のたらい回しで、誰も5年後の日本の教育に責任を取らない。
選挙で「教育」を公約に掲げても票は集まらず、むしろ反対票が増えかねない今の日本の実情も手伝って、こうした空文行政が続いている。
大学も、大学院重点化だといって学生総数を増やしても、ちっとも日本人学生は志願してくれず、東アジアを中心に留学生で員数合わせして、どうにか現状維持といった苦肉の策で「数のチェック」をかいくぐるようなことでその場をしのぐのが実情。
結局、「負のスパイラル」で縮小再生産を繰り返すしか手がありません。ではどうすればよいか?
ジャンルに関しては「縦割り」、時間的な観点からは「腰掛け」という行政の体質はもう治らないことを前提に、縦横に「横串」を刺し、「本腰」を据えた10年20年の人材育成で筋道を通すしか方法はありません。
私自身、そのような取り組みをここ26年間、目立つことなく営々と続けてきた部分では、明らかにこのオーソドキシーは成功しています。
2050年、日本の創意工夫が全面開花する30年スパンの教育の在り方、各論については稿を分けたいと思います。