「文理融合」が永遠に不可能な理由

 これらが現実である一例を記しておきます。

 私も創設に関わった「東京大学大学院情報学環(1999-)」という組織は、上にも「*B」に記された「文理融合」を錦の御旗として立ち上げられたものです。

 すでに四半世紀を経過して、さぞや「文理」の垣根を超えた素晴らしい成果や人材育成ができているかと問われれば、

 2024年6月時点での「シン・ニッポンイノベーション人材戦略」が、いまだに「文理の枠にとらわれず」とか書くことから推して知るべし、というのが結論になります。

 当時34歳だった私は、大真面目で「文理融合」に取り組みました。

 というのは、理系と文系、双方の大学院を修了し、かつ芸術音楽という全く別の分野の仕事を内外で進めていたから、どのようにすれば「融合」が可能かはっきり分かっていたからです。

 ところが、大学の中で「そういう迷惑なことはしてくれるな」という反動の壁に直面しました。

 日本の学術、もっと言えばそれに関係する「ヒト・モノ・カネ」は「文系」「理系」に画然と区分けされており、「文理を超える」式のものは、期間限定のプロジェクト予算がメインというのが、「ニッポン学術」の、その実のところだからです。

 具体例を挙げましょう。「日本学術会議」という内閣府の機関があります。

 これは「日本学術会議法」によって「日本の科学者の内外に対する代表機関であり、科学の向上発達を図り、行政、産業および国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする」と定められた「ニッポン学術」の公式見解が結晶したような機関です。その構成は

人文・社会科学部門 -
第一部(文学、哲学、教育学・心理学・社会学、史学)、
第二部(法律学、政治学)、
第三部(経済学、商学・経営学)

自然科学部門 -
第四部(理学)、
第五部(工学)、
第六部(農学)、
第七部(医学、歯学、薬学)

 判然と、整然と、文系と理系、またその中の各学会組織などに区分けがなされており、この区分に沿って国の研究開発予算を始めとする「ヒト・モノ・カネ」の流れが制御されます。

 これを書いている私自身が、2004~2005年、第19~20期学術会議(黒川清会長室)で「第三期科学技術基本計画」の草稿執筆に参加した当事者ですので、はっきり断言します。

「文理融合」は永遠に実現しない、意味のないお経と思った方がよい。

 では、どうすればよいのか?

「文系」の学部とされているファカルティ、例えば法学部や文学部が理系の道具(例えば情報科学、統計、AIなど)を積極的に吸収、活用し、「理系」とされている工学部や医学部が、文系とされる領域(例えば経営、マネジメント、知財管理など)を積極的に吸収する・・・。

 全世界で当たり前の学術の内発的進化をフォローアップすればよいだけのことなのです。ところが、日本の大学にはこれができない。

 日本の奇怪な現象として、1990年代以降、世界広しといえども我が国の大学にだけ、可笑しな4文字学部がたくさん作られました。

 一方、グローバルに見れば20世紀後半、新たな学部として定着しているのは「コンピューター」と「バイオ」くらいのもので、それ以外は旧来の学部が内部から体質改善、新たな学問の進展を内在化させて今に至っている。

 米国のハーバード・ビジネススクールでもよろしい、MIT(マサチューセッツ工科大学)スローン校でもよろしい、みんなそうやって内部から体質を改めている。

 内部からそれを阻むのが日本の特徴なのです。

 私自身が直面したケースでは、東大は20世紀末、工学系主導で技術経営のビジネススクールを2度(1度目は野口悠紀雄氏、2度目は松島克守氏を招聘して)設立しようとして、どことは書きませんが、学内抵抗勢力によって潰され、そのまま沙汰やみとなりました。

 21世紀、GAFAなど新興情報産業の成長を後目に、日本が何もできなかった背景には、こういう非常に明確な理由が存在します。