無意味な「数値目標」を止めよ

 先ほどの「シン・ニッポンイノベーション人材戦略」には、しれっと以下のような表現が記されています。

「近年、国費の投資は増加する一方、論文指標が相対的に低下傾向、技術革新指数(2023,WIPO)13位、「創造的な成果」や「制度・機関」の評価の低さが顕著」

 これはつまり、「学術研究に国費を投じているはずなのに、相対的に日本のイノベーションは低下している」という現状を、文科省ですら認めないわけにはいかない、日本の困った現状を示しています。

 どうしてこういうことになったのか?

 かつて高度成長期の日本では、戦時中の海軍技術将校(井深大、盛田昭夫両氏のソニー創業者コンビが著名)を筆頭に、旧制世代真の実力を涵養した「八紘一宇型人材」が、天才的な業績を次々と創出。

 日本のノーベル賞、フィールズ賞も1910年代~40年代生まれに集中し、50年代以降の世代ではガクンと勢いが落ちてしまいます。

 この変化は1980年代末~90年代にはすでに指摘されていました。

 そこで、それまで具眼の士が「これでいこう」と、長期的視点をもって計画したのと同じようなやり方で、あまり具眼でない人がサラリーマン式学術で継承しようとして、どうにもならなくなっていったのが「昭和末~平成初期」、私が20代後半から30代初めにかけての時期でした。

 そこで言われるようになった一つが「数値目標」でした。

 私が東大に着任した1999年以降、年を追うごとに「KPI(Key Performance Indicator)」の何のと、ほとんど意味を認めがたい数値指標導入が相次ぎ(それらを導入した「功績」によってお役人ないしお役人まがいの大学関係者は出世もしたことでしょう)、若手研究者は長期的な視野でゆっくり育ててもらう「大盤振る舞い」と無縁に、小粒に、チマチマと点を稼ぐような形態でないと、アカデミアでポストを得ることもままならない状況を作り上げていった。