要するに、完全なる門外漢による作文のための作文と断じて構わない代物と私は読みました。
端的に言えば「博士課程」がどうこうと書いていますが、そう書いてる官僚自身が博士号、あるいは修士でも構わない、学位取得ということを大学院で経験しているのか?
もし少しでも、専門大学院というものを経験していれば、こういうことは書かないだろうという外部目線の空文に終始するのは、たぶん何も知らないからだろうと察するわけです。
こうした調子の空文が「シンゴジラ」作文は延々と続きます。「次世代育成」の要諦と称して
*A:地域が全体で協力して新人材を支える
*B:文系・理系といった枠にとらわれない
*C:意識としてのアントレプレナーシップ
*D:特定分野に優れた意欲を持つ人材を伸ばす
などと並べてありますが、26年前、ほとんど同じ鳴り物で20世紀末、私自身、東京大学に人事がありました。
そして、現実に21世紀の東大で直面したのは、
*反A:異分子を認めない同調圧
*反B:文系/理系双方の既得権益の棲み分けを守る文理分離圧と
*反C:グローバルなベンチャー育成と異なるモデル(例えば「東大発ベンチャー」テラの破綻に至る経緯を参照)
*反D:一芸入試類に伴う学生全般の基礎学力、教養学力の衰退化
という、どこの会社にもあるような、大学の日本型組織体質そのものだった。
つまり「*A」「*B」のような「御経」「祝詞」は少なくとも30年来、常に「予算をつける際に唱えられる呪文」です。
一度予算その他が通れば、「*反A」「*反B」のような潰しが待っていることで、百年一日のような「課題群」が数年後にも有効な「解決すべき問題群」としてリニューアルして使える、というマンガのようなルーチンです。