「情緒感染」が起きやすい中国社会

 中国当局は今年に入って「四無人員」と呼ばれる「配偶者子供なし(家族なし)」「仕事定収入なし」「正常なコミュニケーションなし(友達・社会との接点なし)」「資産なし」の人や、「五失人員」と呼ばれる「投資失敗」「生活失意」「心理失衡」「人間関係失敗」「精神失調」に当たる人を社会の安全を脅かすリスク要因とみなして、監視強化対象としている。それほどに「四無五失人員」が増えており、社会が不安化しているということだ。

 こうした人々は、普段平静を装っていても、ちょっとした刺激がきっかけとなって、怒りを爆発させたり、不安でパニックを起こしたりして、ときに連鎖反応を引き起こし、一種の「情緒感染」のようなものが起きやすくなる。

 この「情緒感染」は、私の経験上、中国人には特に起こりやすい気がする。たとえば、反日デモなどが、その典型だ。

 中国の大規模反日デモは私も何度も現場で取材したことがあるが、デモに参加している人たちの中には、普段から筋金入りの反日というわけではない人も大勢いる。むしろ、日本製品や日本のサブカルチャーが大好きで、日本旅行に行きたがる人も少なくなかった。

 だが、日頃の暮しにうっぷんを抱えている場合、当局が反日などの方向に不満を発散させるよう誘導すれば、正常な判断ができずにその方向に一斉に向かい始めることがある。反日デモが終わった後に、彼らになぜデモに参加したのか、と問い詰めると、バツが悪そうに「なんか、そういう気分になった」みたいなことをよく言う。

 古くは毛沢東の文化大革命の紅衛兵も、私は人民の「情緒感染」の特性を知った上で、それを誘導して、劉少奇打倒の権力闘争に利用したものだと私は見ている。胡耀邦の死が、大規模な追悼集会を引き起こしたのも情緒感染ではないか。そうした情緒感染した若者の集会を、趙紫陽が鄧小平との権力闘争に利用しようとして失敗したのが天安門事件の一つの側面であったと思う。

 中国共産党は、こうした情緒感染に陥った人々を利用してきたが、あまり規模が拡大しすぎるとコントロール不可能になり、最終的にはその不満や感情の矛先が共産党自身に向かうことがある。それを恐れて、当局は報道統制や情報隠蔽、あるいは禁足令などで人民を情報や外部刺激からシャットダウンしようとするのではないか。

 こうした一種の情緒の感染というのは、どこの国でも経験している。だからこそ自殺などの報道については、最近のメディアは過剰に報道しないように注意する。ただ、中国の場合、こうした情緒感染や、それによる連鎖行動や集団行動が往々にして政治的意味を持つようになりがちだ。