人口減や地域経済の衰退によって仏教が曲がり角に立たされている。檀家制度は崩壊の危機に瀕し、寺院の消滅や「墓じまい」の流れが止まらない。1500年の歴史を有する日本の仏教はどこへ向かうのか。僧侶でジャーナリストの鵜飼秀徳氏が仏教界に待ち構える未来を考える。6回目は、お葬式にかかる費用について。
(*)本稿は『仏教の未来年表』(鵜飼秀徳著、PHP新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
上司の親の葬式に出席する機会がない
弔いのコスパ追求に拍車がかかっている。
あなたは最近、会社の上司・同僚の親の葬式に出席したことがあるだろうか。
中堅以上の社員であれば、若手の時代に上司の親の訃報を受ければ、受付などの手伝いをしたことがあるのではないか。かくいう私もかつて、上司の親の葬式に何度か参列し、普段は厳格な上司が涙を見せたり、家族を紹介してくれたりして、「部長も人間らしいところがあるんだな」などと驚いたものだ。
しかし、ここ数年はどうだろう。特に東京で働く会社員は、会社がらみの葬式に出ることが、とんとなくなったのではないか。会社の掲示板の訃報通知には、昨今、決まってこんな文言がさらりと添えてある。
「通夜・告別式は近親者のみで行います。香典や供花は謹んでご辞退申し上げます」
こう書かれていれば喪主が、参列者を集めない「家族葬(密葬)」もしくは、葬式を実施しない「直葬」のいずれかを選択したことを意味している。
新聞の訃報欄にも変化がある。やはり、「通夜」および「葬儀・告別式」の日取りや場所が書かれておらず、かわりに「告別式は近親者で行う」との文言が添えられているのだ。
新聞の訃報欄に掲載される故人は国会議員や文化人、大企業のトップなどを経験した著名人である。「公人」ですら、会葬者を集めた葬式をやらないようになっているのだ。支援者が多数存在する政治家までもが、いまでは葬式をやらない。
2022(令和4)年夏に暗殺された安倍晋三元首相も「家族葬」を最初に行い、その後「国葬」という流れであった。