若者たちの秘めた逃避願望の映し絵
「世界線」という言葉をご存知だろうか。主人公がある選択をした人生と、しなかった人生で分岐するパラレルワールドのことである。『Re:ゼロ』はこれ自体を楽しむ作品だ。そしてお約束通り、あらゆるタイプの美少女が登場する。ある世界線ではそのうちの一人にブチ殺され、ある世界線ではその子からデレデレに惚れられる。それぞれの選択肢のなかで組んずほぐれつしながら、物語はじりじりと進む。そしてその度に、スバルは必ず死ぬのである。
本作の見せ所は、スバルの身もフタも無いほどの醜態の晒し方であろう。どうやってもうまく行かず、何もかもイヤになって自暴自棄になったりもする。死に方も痛みが伝わるようなエグいものが多い。そんな中で「そうか、死んでしまえば良いんだ」という考え方がスバルに芽生える。リセットしてセーブポイントに戻れば良いという感覚はゲームでは当たり前だろう。
この楽しさは90年代のゲーム「かまいたちの夜」や「街〜運命の交差点〜」などのサウンドノベルに似ている。画面上に展開する物語を読んでいくと複数の選択肢が現れ、それを選んだ先で物語やエンディングが変わるゲームである。本作の着想はおそらくここからきているものと思われる。
実際にやってみればわかるのだが、この手のゲームは、いかにバッドエンドであろうと、新しい分岐点を模索して「これまでと違う展開=違う世界線」を発見することが本懐である。
とはいえ、その世界線でスバルが安易な死を選んだのなら、遺された人々はどうなるのだろうか。当然、非常に悲しいわけである。散々な結果だけが取り残されるので、きわめて無責任でさえある。やはり「死」はどの世界でも重く、軽率に選択していいものではない。そういうことを悟らせる回もあるのが、この作品が名作たる所以であろう。
当世の「なろう系」隆盛は、若者たちの厭世観からきていることはいうまでもない。家庭や学校、SNSでの人間関係などで、強いストレスを抱えている若者たちは、今もどこかで密かに「いっそ消えたい」と願っている。私はその現場を幾度となく見てきた。だから知っている。今の若者たちは、疲弊しすぎているのである。
それ故に「なろう系」の主人公たちがニートや引きこもりだったりするのは無理もない。彼らにとって現実世界とは唾棄すべき理不尽に塗れた地獄のように映っているのだ。いじめ、同調圧力、パワハラやモラハラなど、あらゆる暴力に辟易しているのだ。そしてその中で戦うよりも隷属するほうが楽だと諦めてしまっているのである。更に言うなれば、若者たちの多くは世の中についてこう感じているのではないか。
「今よりも未来の方が状況は悪くなっているんだろうなぁ……」
ここまで将来の夢を声高に語らない世代はかつてなかったと感じる。文化は世相を確実に反映する。若者たちの儚くも健気な夢物語の数だけ、この作品に反映されているのである。年間200本以上のアニメが公開されるという事実も、若者たちの秘めた逃避願望の映し絵とも言えるのではないだろうか。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)