大谷翔平を「すごい」で終わらせない

 と、自社のクライアントの例ばかりで恐縮だが、それぞれが経験や感性から編み出した解説力は、どれも聞き応え充分だ。そして、そう思わされる解説者、評論家の方は自社でなくともたくさんいる。

 しかし、である。その一方で誰でも言える解説や評論もかなり増えた。私は、ここに危機感を覚える。

 確かに「個性あふれる解説」は意図が伝わらずに批判的に受け取られることがある。

 先日、上原さんがYahoo!ニュース「野球に正解はない」の中で、「大谷翔平50-50の真の価値とは?上原浩治が前人未到の記録を分析」というコラムを書いた。

 大谷選手の前人未到の記録を称えた上で、記録が生まれた背景を解説した内容である。

 盗塁に関する記述では、「メジャーの投手の牽制やクイックで投げる技術の低さを露呈している点も見逃してはならない。そこに牽制の回数などを制限するピッチクロックの導入も影響しているといえる」とし、メジャーの投手技術の低さと、現行ルールが走者に優位な状況にあることを指摘した。

 実際、ピッチクロックが導入された2023年(昨シーズン)以降、メジャー全体の盗塁数が前年比で大幅に増えていることも指摘している。

 盗塁がしやすい環境については、現役メジャーの投手も同じような見解を示している。

 だからといって、誰もが盗塁をできるわけではなく、上原さんも数字を積み上げた大谷選手の偉業については、賛辞の言葉を送っている。

 残念なことに、インターネット上では、いつのころからか「上原はアンチ大谷」というレッテルが貼られ、上原さんの解説の真意が伝わらないことが多い。

 上原さんは「大谷選手のすごさ」を否定したことはない。すごいのは当たり前。それは、誰でもわかり、誰でも言えることである。

 昨今の情報番組やワイドショーを観ていれば、全てのコメンテーターが「すごい」「感動した」という言葉を並べている。では、どうすごいのか、マークした数字の意義は、背景に何があるのか。

 そこにこそ解説者の「個性」がある。

 ファンと同じように喜ぶだけでは、プロの仕事をしたとは言えない。

 上原さんは、自らの経験とデータ、実際に見たプレーなどを根拠とし、野球を深く知るための解説を心掛ける。その信念は、どれだけネット上で「アンチ大谷」と言われてもブレることはない。

 メジャーの投手が来季以降、牽制やクイックの技術を磨いてきたなら、上原さんは、大谷選手がもたらしたメジャーへの影響という視点で解説するだろうし、これだけ走られてもメジャーの投手に変化がないなら批判もするだろう。

 来季以降の盗塁で、大谷選手にさらなる進化があれば、投手目線でわかりやすく解説をするだろう。どこを向き、誰に対して“仕事”をしているのかという観点で言えば、上原さんは評論家の仕事に徹し、まさにファンに新しい目線や楽しみを提供しようとしているだけである。