伝説の大女優サラ・ベルナール
ベル・エポックを代表する大女優サラ・ベルナールも裕福な家の生まれではない。母親はパリで高級娼婦として働き、1844年に私生児である娘サラを生んだ。
里子に出され、幼少期を修道院で過ごしたサラは、15歳で母親の元に戻った。その母親に連れられて出かけた、王立劇場コメディ・フランセーズ。生まれて初めて芝居を鑑賞したサラは、「女優こそ私の転職」と確信したという。
その確信に間違いはなかった。女優の道を歩み始めたサラは瞬く間にスターダムを駆け上がっていく。ヴィクトル・ユゴーに「黄金の声」と激賞され、瞳の微妙な動きだけで観客を虜にする目は「神秘の窓」と評された。ジャン・コクトーは彼女を「聖なる怪物」と呼んでいる。
サラが見出した2つの才能
彼女は自身がスターであると同時に、スターの卵を発掘する力にも長けていた。サラが舞台『ジスモンダ』(1894年)を演じた時、「たまたま手が空いていた」という理由で無名だったアルフォンス・ミュシャがポスター制作を手がけることになった。その出来に将来性を見たサラは、無名の新人と6年間の専属契約を締結。ミュシャはサラの舞台ポスターを次々に発表し、才能あふれる若きアーティストとして名を馳せていった。本展で展示されている《サラ・ベルナール》は、ミュシャの代表作のひとつとして知られている。
ルネ・ラリックもサラに才能を見出された芸術家のひとり。サラはフリーの宝飾デザイナーとして働いていたラリックに注目。当時は大粒のダイヤモンドなど石の力が重視されていたが、デザイン性で勝負するラリックに未来を感じたのだ。二人の最初のコラボ作品《舞台用冠 ユリ》(1895年頃)は、『遠国の姫君』の劇中でサラが着用したもの。その後、ラリックは舞台だけでなく、サラのプライベートの装飾品も手がけるようになった。
フランスのみならず、五大陸で海外公演を成し遂げたサラは「世界最初の国際的スター」。展覧会の会場ではサラ・ベルナールの貴重な映像を見ることができる。物語や写真でしか知らなかった伝説のスターが、画面の中で動いている! お見逃しなく。
「ベル・エポック―美しき時代 パリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケル コレクションを中心に」
会期:開催中~2024年12月15日(日)※会期中、一部展示替えあり
会場:パナソニック汐留美術館
開館時間:10:00~18:00(11月1日、11月22日、11月29日、12月6日、12月13日、12月14日は〜20:00)※入場は閉館の30分前まで
休館日:水曜日(12月11日は開館)
お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
*土曜日・日曜日・祝日は日時指定予約(平日は予約不要)