果たして自由奔放な和泉式部に宮仕えは務まるのか

 そうして清少納言と決別する一方で、まひろは和泉式部と再会を果たす。

 史実においても、紫式部は寛弘2(1005)年ごろに、そして和泉式部はその約4年後の寛弘6(1009)年に、ともに一条天皇の中宮・彰子のもとに出仕している。ドラマでは、和泉式部を女房に推薦したのが、まひろ(紫式部)であるという要素が加えられた。

 実際の紫式部も「和泉式部といふ人こそ、おもしろう書き交はしける(和泉式部という人とは、趣深く文通をしたものだ)」と書いており、歌人としての才能を認めていた。次のようにつづっている。

「うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見えはべるめり。歌はいとをかしきこと」
(気軽に手紙をさらっと書く際にも、その方面での才能を感じさせる人で、ちょっとした言葉遣いの中にも、気品が見えるようです。和歌は趣深いものです)

 しかし、その一方で「和泉にはちょっと感心できない点があるけれども(和泉はけしからぬかたこそあれ)」と苦言も呈している。おそらく和泉式部の恋愛遍歴のことが、紫式部には引っかかったのであろうと思われる。

 和泉式部は、20歳頃に和歌守の橘道貞(たちばなのみちさだ)と結婚。小式部内侍(こしきぶのないし)という娘も生まれているにもかかわらず、冷泉天皇の皇子である為尊親王(ためたかしんのう)と恋に落ちている。

 さらに為尊親王が病死すると、今度は弟の敦道親王(あつみちしんのう)と深い関係になったというから、なるほど確かに感心できない。しかも、スキャンダラスな関係を『和泉式部日記』で、自分から堂々と暴露しているのだから実に型破りだ。夫との仲は破綻し、離縁したとも伝えられている。

 ドラマでのまひろは、情熱的な和泉式部の生き方に興味津々で『和泉式部日記』の執筆を勧めているくらいだが、実際の紫式部は「私生活はちょっとやりすぎじゃないか」と感じていたようだ。

『光る君へ』での和泉式部のキャラクターは、まさしく奔放さ全開でイメージ通りである。

 今回の放送では、和泉式部が初出仕の日に、小林きな子演じる宮の宣旨から「今日よりそなたを和泉式部と呼ぼう」と呼び名を与えられるが、「別れた夫の官職は嫌でございます」と、まさかの拒否。そのうえ「宮の式部でお願いします。私の亡き思い人は親王様ですので」と提案して、周囲をあぜんとさせている。

 結局は「文句を言うでない」と、宮の宣旨に押し切られてしまう。「ヤバいやつがきたな、これは……」というムードが漂ったが、気にもしていない和泉式部のメンタルの強さが最高だ。どんどん宮中をかき回してもらいたい。