作品に奥行きを与えているデミ・ムーアという存在

若いバージョンが成り上がった後の世界で自分の部屋を掃除するオリジナル若いバージョンが成り上がった後の世界で自分の部屋を掃除するオリジナル(写真:MUBI)

 日本では「ゴースト」(1990年)や「素顔のままで」(1996年)、「G.I. ジェーン」(1997年)などで知られるデミ・ムーアだが、そのうちの何作かでは大胆な露出や肉体改造がその評価の一端であった。

 アメリカでの本作公開にあわせて掲載されたニューヨーク・タイムズのインタビュー記事で、「(本作は)自分たち女性たちが自らに行った暴力についてのものです。それは自らに対する愛と自己受容の欠落、そして男性によって理想化された女性像を受け入れた私たち(女性)の物語なのです」と語り、本作で大写しにされる自身のお尻について「この映画の自分は美しいお尻である必要がないので、ある種の解放感があった」と述べている。

 デミ・ムーアが90年代のハリウッド映画における、男性による女性への眼差しの犠牲となった女優の1人であったことは間違いない。

 今回、本稿を書くにあたり「G.I. ジェーン」を見直したのだが、デミ・ムーア演じる主人公が女性だというだけの理由で軍隊内での執拗なしごきにあう物語で、四半世紀以上前に発表された物語に現代の感覚からイチャモンばかり言うのは避けたいが、正直、見るに堪えない映画であった。これが普通に金曜ロードショーなどでお茶の間に流れていたこともいまさらながら衝撃である。

 デミ・ムーアは、数年前に発表した自叙伝で、ハリウッドのスター女優でいるために極度な減量や増量を求められたこと、またそのような男性の視線に応じるままだった過去の自分について赤裸々に書いているという。本作の彼女はもちろん虚構のキャラクターだが、中年になった元スターでかつボディ・コンシャスな設定など、そこかしこにデミ・ムーアが二重写しになる作品だ。この女優の出演が作品に奥行きを与えている。