日本だけで使われている「コンパクトシティ」

小池:また、現在復興の文脈で使われている「コンパクトシティ」という言葉は日本独特のものであることも指摘しておく必要があります。

 私が住んでいたオランダなど、欧州諸国でも「コンパクトシティ」という概念が都市計画行政でも提唱されることはあります。

 ただ、文脈としては「都市化により、無秩序に開発が進んでしまった反省」という面が大きいのです。文明が発達し、都市が広がるとスラム化するエリアも出てくる。また車社会が前提となることから渋滞もひどい。行政機能をコンパクトにし、渋滞を緩和する道路網を整備するなど、近代化の負の部分を解消しようという意味合いです。

 ところが能登半島での震災を機に加熱した日本の「コンパクトシティ」の議論は、過疎化する地方の「切り捨て」という発想を基にしています。言うまでもありませんが、近代国家は国民に憲法上、「居住の自由」をある程度権利として認めています。災害のリスクに脆弱な地域をできる限りなくすことが重要なのではないでしょうか。

 確かに震災を受けた場所から集団移住するという考え方には致し方ない面もあります。ただそれも、「当該エリアに住んでいる人たちは一律に移住する」といったものではなく、その地域で伝統的な農業や産業を築いてきた人たちは、なんとかその場で住めるように国が努力することを前提に議論を進めることが重要です。

 輪島市の伝統文化・農業、そしてそれらの作り出す棚田のような景観は、貴重な財産です。こうしたものをどうすれば残せるのか、しっかりと議論していかなければなりません。

 平成からの日本においては、新自由主義を掲げる政治家が全国の要職に就きました。彼らは徹底して土木事業を「無駄」として批判し、老朽化した道路の補強も「人口減」や「予算不足」を建前に怠り続けていました。

「B/C」という指標を絶対視することに表れていますが、彼らが考える「投資効果」は時間軸が短すぎるのです。長い目で見れば、災害に強い道路をつくったり、人口が減っていく中でも地域住民の伝統や文化を守ったりすることは、地方にとって、あるいは、日本にとって、必ずプラスになるはずです。

 また、人口が減っていく中でも食料安全保障という文脈においては、地方の農業を守ることが重要です。スイスでは、地方の農家に対して、直接生活を保障するシステムをつくっています。

 これ以上インフラ投資を「コスパ」で見ていると、ついには誰も住めなくなる地域が日本で続出するかもしれません。能登半島の復興の議論を機に豊かな国土をいかに守っていくか、国民みんなで考えていかなければなりません。