命を絶った議員たち

 中島洋次郎衆議院議員は、戦前の巨大軍事産業「中島飛行機」(現在のSUBARU)の創業者で後に政治家に転じた中島知久平の孫で、俗に言う3世議員だった。2世、3世の議員を毛並みが良いと言うのかどうかは別として、1998年に発覚した彼のスキャンダルは、すべてがカネにまつわるものだった。

 政党交付金の不正流用、選挙違反、受託収賄、公設秘書給与詐取、典型的な政治とカネの犯罪のオンパレードだ。

 10月29日に政党助成法違反容疑で逮捕された中島議員は、公職選挙法違反、受託収賄容疑でも再逮捕され、その年の年末には起訴された。そして翌年の年明け早々には罪を認め、議員辞職した。

 身から出た錆と言えばその通りだが、わずか数カ月でひとりの代議士の運命は激変した。逮捕が迫るある日、衆議院本会議場で中島議員の姿を撮った。彼はポーカーフェイスで一見冷静そうに見えた。そのポーカーフェイスの奥にはどんな思いが広がっていたのだろうか……。

汚職事件が明るみに出るなか衆議院本会議に出席する中島洋次郎衆議院議員(写真:橋本 昇)
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 その後、東京地裁で懲役2年6月・追徴金1000万円の実刑判決、東京高裁でも懲役2年の実刑判決を受けた彼は、最高裁の結審を待たずに2001年1月6日、自宅で自ら命を絶った。没年は41歳だった。

 衆議院議員だった新井将敬氏は1998年2月に日興証券との不正取引と利益供与要求の疑いで検察の捜査対象となり、衆議院議院運営委員会で逮捕許諾請求が可決された翌日に東京のホテルの一室で亡くなっているのが発見された。彼は最後まで無実を訴えていたという。

新井将敬氏。この記者会見の数日後に自殺した(写真:橋本 昇)
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 新井議員はテレビなどにもたびたび出演し、歯に衣を着せぬ論舌で人気の若手代議士だった。また、16歳で日本に帰化した在日朝鮮人でもある彼は、自らが語るところによると幼い頃からいわれなき民族差別を受けたというが、その経験もあって彼は人一倍正義感の強い人間だったと友人たちは語っている。

 正義感に燃え、東大→大蔵省→衆議院議員とエリートコースをひたすら歩んできた彼でさえも、どこかで道を踏み間違えてカネという魔物に取りつかれてしまったのだろうか。

「彼は自らの美学に殉じたのだ」と言う人もいるが、本人の死亡により逮捕許諾請求は取り下げられたので、真相は分かっていない。没年は50歳だった。

2006年、事務所費問題などで批判を浴びていたさなか、自殺した松岡利勝農林大臣。現職閣僚の自殺は、内閣制が始まって以来2人目、日本国憲法の下では初めてだったという(写真:橋本 昇)
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