「派閥」にはネガティブなイメージを持つ人が多いと思います。親分が子分にカネを配ったり閣僚人事に影響力を及ぼしたりといった、密室政治的イメージがまとわりついています。少し古い事象になりますが、特に、小渕恵三元総理が急逝して、後継総理に森喜朗さんが決まった四半世紀近く前のプロセスは、まさに親分たちが密室で話し合って決めたことで、派閥のイメージは地に落ちました。その少し後で、小泉純一郎氏が、「自民党をぶっ壊す」と絶叫して地すべり的勝利を収めたことは、今も多くの人の記憶に残っていることと思います。

 それなのに、なぜそれでもなお、派閥の論理で人事や総裁選の大枠が決められてきたのでしょうか。それはある種の“大人の知恵”でした。

政界で派閥と言えば「料亭政治」のイメージも…*写真はイメージ(写真:kuremo/Shutterstock)
拡大画像表示

「選挙が終わればノーサイド」とは言うものの…

 派閥の存在意義の一つは「選挙による争い」を避けようというメカニズムを機能させてきたことにあります。候補者が議論を戦わせて総裁選が盛り上がるのはいいことなのですが、実際に国民生活にとって大事なのは、選挙が終わった後であって、総理・総裁になった政治家が選挙で掲げていた公約をちゃんと実現すべく、安定的に政権運営をできるかどうかです。選挙での派手なパフォーマンスよりも、その後の日々の実施や運営の方が大事なのです。

 ところが選挙であまりにもガチンコの戦いをやってしまうと、誰が勝つにしても、選挙後に党内を一致団結させて、政治を動かしていくことが難しくなってしまうのです。選挙は政治家にとっては戦争です。政治家だって人間ですから、血みどろの戦いになりすぎると、その後の関係修復が難しいのです。

 候補者同士、そしてその候補者を支えるコアメンバー同士は、もともとは別に仲が悪くなかったとしても、選挙期間は必然的に相手を批判することになります。それが積み重なると、選挙が終わった直後に口では「ノーサイドだ」などと言っていても、実際にはなかなか協力関係を築くのは難しくなります。しかも今回の自民党総裁選は、告示から開票までの期間が歴代最長です。選挙期間が長ければ長いほど各陣営間の争いは激しくなり、溝も深まりやすくなります。