総裁選の直前まで、自民党は政治資金の裏金問題で世間から厳しい批判を浴びていました。ところが総裁選が始まるや否や、そんな批判を雲散霧消させるくらいの勢いで各候補者が「自分が総理になったら何するか」的な政策論を戦わせています。もちろん、裏金問題に端を発する政治改革は、今次の総裁選でも大きなテーマですが、様々な論争の中で相対化されています(様々な論点の一つに過ぎない形になっています)。9人もの候補者が百家争鳴的に議論していること自体が、派閥がなくなった成果でもあり、一つの党改革の現れだとして好意的に受け止められているようにも見えます。

 このように、党内の風通しが極めてよくなり、複数の総裁候補たちが自分の主義主張を唱えて議論を戦わせ、総裁の座を目指すというのは本来、望ましいことだし評価もしたいところです。

 ただ私は、この事態を手放しで喜んで良いかと言われると、少々疑問もあります。果たして、候補者が乱立して競い合う状況は本当にいいことなのでしょうか。

派閥の論理には「大人の知恵」という一面も

 もし「多くの候補者が立ち、論戦し、選挙でリーダーを選ぶ」ということが本当に素晴らしいことだとしたら、なぜ企業では社長を社員による選挙、あるいは株主による選挙で選ばないのでしょうか。なぜ学校では校長を教員による選挙で選ばないのでしょうか。

 それは、候補者がたくさん出てきて、論戦を交わして選挙をするという仕組みが、実は不都合であるということを、大人な人々は知っているからです。

 さらに言うなら、選挙に自由に立候補が出来ることが素晴らしいのなら、なぜそれを阻むような派閥が今まであったのでしょうか。