そういう埋めがたい溝の出現を防ぐ意味もあって、会社でも学校でもリーダー選びを話し合いで決めているのです(もちろん株主総会のように信任を得ることはしますが)。

 民主主義教育の一環として、小中高で、生徒会役員や学級委員は選挙で選ばせ、如何に議論や投票というプロセスが尊いかを説いていても、その実、先生たちは、自分たちのトップである校長を選挙で選ばせろ!とは騒がないのです。そんなことをしたら、ただでさえ、教頭派や校長派で派閥的な動きが存在していて各種さや当てが行われているところ、互いに得票を巡ってより過激な争いが生じてしまい、グループ間の亀裂が決定的になってしまうからです。これでは学校運営がままなりません。

 政治も実は一緒です。

修復不能な関係悪化を回避する工夫

 ただ民主主義の下では、少なくとも形式的には、トップを選ぶ方法は原則的に選挙ということになります。前の総理が指名して決めるとか、天皇陛下のような超越的存在が実質的に任命してしまうというわけにはいきません。企業や学校とは異なります。

(写真:imacoconut/Shutterstock)
拡大画像表示

 そこで、選挙がガチンコの戦争にならないよう、選挙後の運営がうまく行くよう、うまくバランスを取るために生まれたのが派閥や派閥の親分たちによる事前のある程度の調整だったという見方もできるのです。

 もちろん選挙はしますが、その後の党や政権の運営のことも考えて、領袖たちが話し合って調整し、「今回はこいつでいこう」とか「こいつとこいつとの戦いで決めよう」などと大枠を決めるのです。候補者乱立のバトルロイヤルでは、色々な恨みが残り、あとが大変です。それが自民党政治の知恵の部分でもありました。“国民受け”はしないでしょうが、そこにも一抹の真実もありました。