時代に求められている左のアンダースロー

 亜大は安井を導いてくれた生田監督が昨年の夏に退任し、現在は新体制になっているが、今年から指揮を執る正村公弘監督は前職の八戸大監督時代から数多くの好投手をプロに送り出した投手育成の名人で、投球フォームを細かく指導してもらえることも安井にはプラスになった。

 初登板を果たした東農大とのカードでは、亜大は登板したほとんどの投手が150km以上の球速を計測していた。それだけに安井の「遅い球」が際立った。「右の本格派の150kmの投手が投げた後に、僕が出て行くというのは、結構おいしいというか、これも有利な材料だと思うんですよ」と笑う。

 とはいえ、それだけ層の厚い投手陣だけに、次のカードでの登板はおろか、ベンチ入りさえも保証された立場ではない。「チーム内の競争が本当に激しいので」と言う。

 現状の起用法は左打者専門のワンポイントリリーフだが、そこで終わるつもりはない。先発で長いイニングを投げて試合を作れる投手を目指している。そのためには、右打者への対応も課題になってくる。

 ボールの出どころを隠せる左打者とは対照的に、右打者にはすべて見えていて、なおかつリリースの位置も遠くなる、このごまかしの利かないハンディをどう克服していくのかがカギになる。

 よくよく考えてみれば、安井の登場は決して偶然ではなく自然な流れでもある。近年の野球界では、アンダースロー自体が“絶滅危惧種”と言われるほど数が減っている。それもあって、「アンダースローがいたら使い途あるなぁ」と口にする監督はよくいる。まして「左」と聞いたら、「それは面白い」と言う。

 かつての右打者が主流だった時代であれば、右のアンダースローは有効で、それゆえ多くの名投手も存在した。それは同時に、左のアンダースローがいない理由でもあった。しかし今の野球界は以前と状況が異なり、左打者の数が圧倒的に増えている。それがアンダースローが減った理由でもある。

 だが、右のアンダースローはそうでも、逆に左のアンダースローは、時代に求められているという考え方もできる。それに右のオーバースローの150kmなら、打者もマシンを使っていくらでも練習することができるが、左のアンダースローは打撃投手も存在しないわけで、練習のしようがない。

「僕はそんなに才能がないので、左のアンダースローというのを武器に生きていくしかないですから。大学で結果を残して、この先、上で野球を続けたい。父がいた社会人野球の世界を経験してみたいし、プロを本気で目指しています」と安井は夢を語る。その名の通り「心に勇気の有る男」になった。

 蛇足になるが、安井の魅力はナマで見ないとなかなか伝わりにくい。なので神宮球場での東都リーグの観戦をぜひお勧めしたい。平日の日中に試合というのがちょっと難儀ではあるが、それほど「左のアンダースロー」はレアものなのだ。

【矢崎良一(やざきりょういち)】
1966年山梨県生まれ。出版社勤務を経てフリーランスのライターに。野球を中心に数多くのスポーツノンフィクション作品を発表。細かなリサーチと“現場主義"に定評がある。著書に『元・巨人』(ザ・マサダ)、『松坂世代』(河出書房新社)、『遊撃手論』(PHP研究所)、『PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って』(講談社)など。2020年8月に最新作『松坂世代、それから』(インプレス)を発表。