右利きの安井を左腕投手として育てた父親

 彼の父・安井玲緒直(れおな)は、アマチュア野球で活躍した右腕投手だった。駒澤大で同学年の高橋尚成(元・巨人)と「左の高橋、右の安井」と並び称され、4年生の秋にリーグ優勝した。社会人ではのちに廃部となるシダックスで、1999年の日本選手権に優勝。現在は北海道でプロ野球関係の仕事に就いている。

 安井の野球は、小学校低学年の頃の父との早朝のキャッチボールから始まっている。高橋尚成のスピーディーな一塁牽制に憧れていたという父・玲緒直は、右利きの息子に野球を始めた時から左用のグローブを買い与え、高橋と同じ左腕投手に育ててしまったのだ。

 安井は中学では強豪の東練馬シニアに所属するが、「もともとそんなに運動神経が良いほうじゃなかったし、ヘタクソだったので、ほとんど試合で投げたことはありませんでした」と言う。

 高校は父の母校でもある八王子学園八王子に。「お前じゃ通用しないと言われましたけど、なんとか入れてもらいました」。まだ小学生だった2016年夏の同校の甲子園初出場の時、西東京大会の決勝戦を父と一緒に神宮球場のスタンドで応援した憧れの学校だった。

 八王子には一学年上に大型左腕の羽田慎之助(現・西武)、同学年にも星野翔太(現・城西大)、片山悠真(現・法大)、佐野シモン(現・関西学院大)と身体能力の高い3人の投手がいて、安井にはなかなか出番が回ってこなかった。

「羽田さんを見て本格派に憧れたのですが、スピードは出ないし、試合に出るためには何か工夫しなきゃとあれこれ考えて、2年生の時に、それまでのスリークォーターから腕の位置を下げてサイドスローに転向したんです」

 それでも状況は変わらなかった。球速もそうだが、コントロールが不安定だった。「名前は“勇気の有る心”と書くのに、試合になるとビビってストライクが入らなくなる」とよく監督やコーチにメンタルの弱さを指摘されていた。

 3年生になった春、中学時代のコーチから「アンダースローまで(腕の位置を)下げてみたらどうだ」とアドバイスされ、ダメ元くらいの気持ちでやってみたら、それがハマった。

 ストライクが取れるようになったと思っていたら、オープン戦で打力のある霞ヶ浦(茨城)を相手に6連続奪三振の快投。最後の夏の大会も当初はリリーフの3~4番手の位置づけだったが、4回戦の国学院久我山戦で先発起用される。

 その年の春の甲子園ベスト4の久我山を相手に、最後はサヨナラ負けを喫したが、期待に応える好投を見せた。