移住者にも島出身者にも厳しい伊豆大島での生活

 しかし居酒屋談義的に町で聞いた話は「地元で働きたくても仕事がない」「観光もダメ」など総じてなぜか暗い。よく考えてみれば、ある意味当然である。とても小さな町であるから、町に存在する既存の仕事にはすでに地元の人が就いているのである。島出身の若い人が就職適齢期になったり、島を気に入ったりした人がいざ働きたいと思っても、働くことができる場所がないか、あったとしてもその選択肢は限られているのだ。離島だけに需要そのものも限られている。生活に密着した飲食店などの新規出店、経営もとても難しい。

 観光客数はコロナ前で年間約20万人程度。長い減少トレンドだが、2010年代半ばにいったん底を打っていたが、コロナ禍では10万人を割り込むまでになった。コロナ禍は伊豆大島に限らず、日本中、いや世界中に大打撃を与えたが、2022年には15万人まで戻している。

 少なくない観光客はやはり夏に集中すると思われるが、季節商売はキャッシュフローや雇用もあり営むのが案外難しいというのはやはり夏を集客のピークとする湘南で聞いた話だ。店舗の回転の足はとても早いのだという。地元に定着するのは難しく、どんどんテナントの主が変わっていくそうだ。

 観光もコロナ禍が終わり、すわ、ここから反転攻勢あるのみではないかという気もするが、事はそう簡単ではない。そもそも頼みの綱の観光産業を支える観光客数も長いトレンドで見れば減少し続けているからだ。2001年の年間観光客数は25万人であるからこの20年で2割減(東京都「伊豆諸島・小笠原諸島観光客入込実態調査」)。

 それだけでも結構な減少だが、そもそも1970年代〜80年代の離島ブームの頃には年間約80万人のツーリストがこの島に訪れていたのだという。戦後復興から高度経済成長で労働一辺倒の時代から消費の時代にシフトしたものの、まだまだ海外旅行は高嶺の花だったし、普通のことではなかった。

 海水浴ブームやスキーブームが1960年代頃から。その次に人々が向かったのが、東京の離島である伊豆七島であり、鹿児島県の離島である与論島といった国内の離島だった。消費意欲の旺盛な若い世代の人口も多かった。船はすし詰め状態で、島のあらゆる旅館が溢れんばかりになったらしい。多くの出会いと青春があり、ときに乱痴気騒ぎもおまけについていた。映画や漫画の主題にもなっている(例えば、80年代の若者たちの様子を描いた安童夕馬原作、大石知征画の『東京エイティーズ』)。

 翻ってその頃と比べてみれば、現在の観光客数はなんと実に4分の1。円安が続く現状は海外旅行に厳しいが、何より人々の海外旅行に対する心理的ハードルは大きく下がった。熱海のようにリバイバルする観光地もあれば、新たに佐渡金銀山がユネスコの世界文化遺産に登録を受けた佐渡島のように新たな観光地も国内に誕生している。ライバルは少なくない。その一方で、若者の数は少子化によって激減した。団体旅行で、ひとつの目的地に向かうような時代でもなくなってしまった。当時の様子を記憶している年長世代の人たちの話を聞いてみると、現在の島の状況は本当に寂しくなったということらしい。

 言うまでもないことだが、ここまで幾つか述べた条件は、移住を考える人は当然として、島出身者らにとっても高いハードルとなる。現実には仕事が見つからなければ、生活を続けることはとても難しい。島で働きたくても島を出るしかないのだ。