スポーツ報道では試合後に活躍した選手のインタビューが行われる(写真:Kzenon/Shutterstock.com)

 渡る世間はフェイクばかり——情報過多の時代、もっともらしい文章や画像、映像を簡単につくる生成AIまで登場し、何が正しくて、何がフェイクなのか、ますますわかりにくくなっています。世にまかり通り数々のフェイク、本当のところはどうなのか。政治学者の岡田憲治氏(専修大学法学部教授)が切り込んでいく。

 第2回目はスポーツ報道について。岡田氏は日本のスポーツ報道で試合後のアスリートに投げかける質問は3つしかないと指摘。そこには明治以来残る日本のスポーツ観に根ざす「言葉の欠如」があるという。

(*)本稿は『半径5メートルのフェイク論「これ、全部フェイクです」』(岡田憲治著、東洋経済新報社)の一部を抜粋・再編集したものです。

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「学校をめぐるフェイク」に騙されるな!元PTA会長の政治学者が「嫌ならすぐにやめてもいい」と勧める理由

「最高でぇええええええーす!」の回答でインタビューになっているのか

 日本のスポーツ界においては、試合後のアスリートにする質問は3つしかありません。3つとも全部「お願い」です。ひとつは「気持ちを教えてください」です。もうひとつは「思い出を話してください」です。最後は「みなさんに応援をお願いしてください」というお願いです。

「決勝点となったロスタイムのゴール。あのときの気持ち、聞かせてください」
「首位相手の三連戦の初戦、勝利で終わりました。振り返ってください」
「スタジアムとテレビの前の全国のファン、サポーターに一言お願いします」

 もちろんサッカーやベースボールの専門雑誌や深掘りをしているウェブサイトなどでは、もっと何かをえぐるような、素晴らしいインタビューのやり取りなども目にすることはできます。

 しかし、それは「サッカー通」や「ベースボールおたく」がエンジョイするディープな世界であると思われていて、テレビでのニッポン国民視聴者、つまり「今後、そのスポーツを深く愛し、気づかなかった魅力を発見し、自分の感動の本質に気がつく可能性を秘めた大量の人たち」へ提供するやり取りは、ほとんどがこの3つのお願いで済まされています。

 サッカーのインタビューなのに、サッカーの話が何も出てこないという不可解なやり取りに対して、これまで何度も「サッカーの話をしてほしい」と訴えてきました*1

*1:岡田憲治「言葉で状況を変えていく」『言葉が足りないとサルになる』亜紀書房、2010年、120〜147ページ

 もはやインタビューにすらなっていない、アナウンサーの質問に「最高でぇええええええーす!」で終わらせるやり取りに対しても、「最低でも投げる、打つ、走る、のどれかの話をしてほしい」とため息をつき続けています。

 私がもうひとつ愛するスポーツがあります。それはバレーボールです。

 一番古い記憶は、早朝に父親に起こされて白黒テレビで観たミュンヘン五輪の女子決勝の日本対ソ連です。すべてが1.5倍くらいのサイズの体躯でぶちかましてくるソ連のリスカルのスパイクを、歯を食いしばって拾い続ける小柄で素朴な顔をした日本の選手たちの健気さに、10歳の私のハートはムーブしました。