冷遇の仕方の一例はこうである。下級裁判所(最高裁以外の裁判所)の裁判官は任期が10年で、ほとんどが再任されるが、青法協の裁判官は多くが再任を認められなかった。

 一方で最高裁は、青法協会員の裁判官たちに脱会も働きかけた。これを受け、若手エリート裁判官の集まりである最高裁局付の判事補たちが集団で青法協を脱会した。これに留まらず、司法修習生も弾圧された。裁判官への任官を拒否された。

司法への政治介入を毛嫌いしていた石田和外

 ブルーパージが物議を醸したのは言うまでもない。法曹界は大揺れになった。裁判官も憲法19条によって思想・良心の自由が認められているからだ。また、憲法76条3項には、裁判官はその良心に従って独立して職権を行い、憲法と法律にのみ拘束されると定められている。憲法を愛する寅子は許せないだろう。

 石田氏は裁判官が保守的であることを望んだ。一方で法曹界の内外から「これでは戦前に司法省の下部組織だったころの裁判所と同じ」と批判された。ちなみに青法協は第4代最高裁判所長官・横田正俊のころからあったが、同氏は「青法協にはそう神経質になる必要はない」と鷹揚だった。

 なぜ、石田さんは保守路線に走ったのか。保守政党に擦り寄ろうとしたのではない。むしろ逆である。政治家に裁判内容や裁判所の人事に口出しされるのが嫌だから、先手を打つ形でリベラルな裁判官たちを冷遇したのである。

「石田さんはずっと政治家の介入を毛嫌いしていましたから」(ベテラン法曹人)

 桂場は貴族院議員・水沼淳三郎(森次晃嗣)の仕掛けた「共亜事件」で、水沼の意に沿わぬ判決を出したことから、長く冷や飯を食わされた。これで政治家を嫌った。