宇田川さんは改正が許せなかった。少年少女の非行は大人たちの責任であり、更正させるのは自分たちの義務と考えたからである。年齢は大きな論点ではないというのが持論だった。痩せ衰えた体で自分の考えを吐露した宇田川さん見て、三淵さんは涙をこらえられなかったという。

裁判官を定年退官後に弁護士として活躍していた当時の三淵嘉子さん。東京。目黒の自宅ベランダにて=1982年撮影(写真:共同通信社)
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 現時点でドラマの寅子と多岐川にはやや距離があるが、三淵さんの師匠は宇田川さんにほかならない。宇田川さんは誰にでもやさしく、ユーモア精神に富み、天真爛漫だった。それは三淵さんにも受け継がれた。宇田川さんは治療が遅れたが、それは少年法改正を阻止するためであり、戦死のようなものだった。

憲法の精神に反する最高裁長官による人事差配

 一方、桂場のモデルは石田さん。ドラマでは「共亜事件」(1935年、第18回~25回)の判決文は桂場が書いたが、その原型である「帝人事件」(1934年)の判決は石田さんが書いた。どちらの判決にも「あたかも水中に月影を掬いあげようとするかのごとし」という文学的な下りがある。

 戦後の桂場は最高裁の人事局長、東京地裁所長、最高裁長官とエリートコースを驀進したが、これも石田さんと全く一緒である。

 ここで疑問が湧く。三淵さんと宇田川さんは師弟関係だったが、三淵さんと石田さんには強い結び付きが見当たらない。どうして物語では桂場が大きな存在になったのか?

 おそらく、桂場を憲法に反する人物として描くためだ。寅子にとって最大の敵にするためである。憲法の精神を描いてきたこのドラマにとって、桂場のモデルである石田さんは許せないはずなのである。

朝ドラ「虎に翼」公式Xより
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「虎に翼」で松山ケンイチ演じる桂場等一郎のモデルとされる最高裁長官・石田和外氏。剣道家でもあり、退官後は全日本剣道連盟会長も務めた(写真:共同通信社)
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 石田さんは桂場と同じく、1969年に最高裁長官になった。何を行ったかというと「ブルーパージ」だ。リベラルな考え方の裁判官、検事、弁護士、司法修習生の集まりだった「青年法律家協会(青法協)」に所属する裁判官に対し、人事面で冷遇した。青法協が排除されたからブルーパージだった。