トランプ台頭は個人の偉業か歴史の必然か

 トランプが権力の頂点に登りつめたことは、彼個人の手柄だったのだろうか。

 それとも数十年に及ぶ産業の空洞化、抜け穴だらけの国境、選挙による反乱を引き起こすに足る挑発の数々によって予定されていたのだろうか。

 答えが「その両方だ」であることは疑いようがない。非凡な個人でなければ、構造的なトレンドに乗じることなどできないからだ。

 ポピュリズムの躍進がほかの民主主義国でも見られることは、何か重大なことが起きていることを示唆している。

 だが、つまるところ、特に大統領制においては、個人が触媒だ。

 そして、米国のポピュリストにはその触媒になり得る人材が今のところ見当たらない。

 トランプが大嫌いな保守派の多くは、カマラ・ハリスに一票を投じることに消極的だ。

 民主党は、大統領にふさわしいかどうかの精査を(今のところは)ばかばかしくなるほど受けていない女性候補を保守派に売り込むのではなく、ハリスを選んでおけば向こう4年間はもとより、恐らくその先何年間も米国が一息つけると主張するべきだろう。

 トランプのような人物が再び現れることは避けられないかもしれない。

 だが有権者は、そういう人物がいるなら見つけてこいと歴史に命じることができる。

(文中敬称略)

By Janan Ganesh
 
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