実際の式部も宮中での慣れない生活に疲弊していた

 紫式部は、いつ生まれたのかについても諸説あり、970(天禄元)年とする説や、973(天延元)年とする説などがある。本名も生年もよく分かっていない紫式部が、それでも確かに存在したと言えるのは、藤原実資(さねすけ)が『小右記』に記録しているからだ。

 藤原実資が彰子の御殿へ出入りしていると、いつも同じ女房が取り次いでくれた。長和2(1013)年5月25日の出来事として、実資は『小右記』に次のように記されている。

「今朝帰り来たりて云わく、去んぬる夜、女房に相逢う」

 実資はさらに「越後守為時の娘」と説明している。為時は越前守を務めたのち、越後守にも任じられているため、この女房こそが藤原為時の娘、紫式部ということになる。今後のドラマで、おそらく、まひろが女房として実資を彰子に取り次ぐシーンも出てくることだろう。

 ドラマの設定では、一条天皇がまひろの書いた物語を気に入ったため、その続きを彰子がいる藤壺で書かせることで、一条天皇に足しげく通ってもらおうと、道長は考えた。道長の要望に応えて、まひろは宮仕えを行うことになった。

NHK大河ドラマ『光る君へ』で、まひろ(紫式部)役を熱演する女優の吉高由里子さん慣れない宮中での生活に疲弊していた?まひろ(紫式部)役を熱演する吉高由里子さん(写真:共同通信社)

 しかし、宮中での生活は思った以上に大変だったようだ。今回の放送では、慣れない生活に、まひろの精神が疲弊していく様子が描写されていた。

 実際の式部も、出仕して早々に病んでしまったことが、「初めて内裏わたりを見るにも、物のあはれなれば」(初めて内裏で生活をするにあたって、物思いにふけることがあり)という詞書に続く、次の和歌からも伝わってくる。

「身のうさは 心のうちに したひきて いま九重に 思ひみだるる」

 意味は「わが身のつらい思いがいつまでも心の中についてきて、いま宮中で心が幾重にも思い乱れることだ」といったところだろう。

 ドラマでのまひろは「みなさま忙しく働いておられますのに、私だけのんびりと持て余しているのが、なんだか……」と、筆が進まないために実家に戻ると道長に伝えている。また「ここは気が散りますし、夜も眠れませぬ」と、執筆はおろか睡眠もままならないと訴えているが、実際に式部が出仕しなくなったのは、人間関係が主な悩みだったようだ。

 宮中の生活が嫌になった式部は、実家に戻ったあと「ほのかに語らひける人に」、つまり、宮仕え中に少し会話をした人に対して、こんな和歌を送っている。

「閉ぢたりし 岩間の氷 うち解けば を絶えの水も 影見えじやは」
(岩間を閉ざした氷が解ければ水に影が映るように、私に心を開いてくれない方々が打ち解けてくれれば、御所にお伺いしないはずがありません)