新聞記者時代、デスクに修正を命じられた方言

 新聞社時代、記事の中の話し言葉を方言で書いたらデスクに直されたことが何度もあった。「方言だとわかりにくい」とはいうものの、本人がいっていない言葉をカギカッコで記すことには強烈な抵抗があった。

 テレビの報道なら、本人が言うままに放送し、テロップとかで補足することができるんだよなあ、などと思ったものだ。

 被爆者団体の中央組織である「日本原水爆被害者団体協議会」の結成に尽力し、初代事務局長を務めた広島市出身の故・藤居平一さんの人生を描いた『まどうてくれ』というタイトルの本がある。広島の言葉で、「元通りにしてくれ」「償ってくれ」という意味なのだが、援護を求める被爆者たちの言葉そのままで記されることに意味がある。言葉が伝わらないどころか思いまでなかなか伝わらない、そんな現実に対する憤りさえ込められていて、「中央」と現場の間のそこはかとない距離感を感じ取れるような気がするのだ。

 方言ではないが、被爆者たちの中には原爆のことを「ピカ」または「ピカドン」と言う人たちが多い。決して子ども言葉ではない。自分たちの頭上に投下され、さく裂したそれが「原子爆弾」と呼ばれる核兵器であることは、時間が経ってから広島・長崎の人たちが知らされた知識でしかなく、その時その瞬間、ピカっと光って、ドーンといった、そんな見えたまま聞こえたままが表現された言葉であり、広島・長崎の人たちがいかに未曽有の恐怖に晒されたかを、その表現が教えてくれている。