広島弁のイントネーションというのを活字で説明するのは難しいが、「ありがとう」で説明するとわかりやすい。東京の人たちが「あ『り』がとう」と言うのに対し、広島では「あり『が』とう」と「が」にアクセントが来る。

 県外育ちとはいえ、親戚のほとんどは広島県内におり、長い休みの時期となれば両親の故郷である広島に戻って広島の言葉に囲まれて過ごしてきたため、広島の言葉は身体に染み付いている。だが、広島の言葉は決してわたしのデフォルトではない(そして、デフォルトがなんなのかわからないくらい転居を重ねてきた)。

 保育園時代から広島で育ってきたわが子が、「くわがた」を「く『わ』がた」と発音したとき、「へぇー!」と新鮮な驚きがあったし、手が届くことを「たう」とさらっと言ったとき、「ほー、すっかり広島の子だな」と感慨深さに浸ったものだ。

「ジャーナリストとしての強さが広島イントネーションで強化されてカッコよかった」

 メッセージを送ってきた友人は、ボランティアで朗読活動をしている。彼女は、「標準語を是とする朗読をしている私が言うのもなんですが」と断った上で、こう伝えてきた。 

「方言がにじませるその土地の人のリアリティは、何かメッセージを発信するとき、その土地の匂いが漂う感じでとても強い印象を残す。園子さんの話を聞き、『これは確かに広島で生活している人が考えていることだな』と説得力が増す。ジャーナリストとしての強さが広島イントネーションによって効果的に強化されていて、ある意味でカッコいい個性だな、と感じた」