選挙ではなく「話し合い」で決まったケースも

 もちろん、カネの力で全てが決まったわけではありません。
 
 選挙による「対決型」ではなく、長老などが行司役として後継総裁を決める「話し合い型」での決着例もありました。有名なのは1974年の「椎名裁定」です。

 自民党の再生をかけたこの総裁選では、大平正芳氏と福田赳夫氏、さらに中曽根康弘氏が有力とされ、激しくつばぜり合い。なかでも公選を唱える大平氏と、話し合い決着を主張する福田氏が互いに譲らず、総裁選の実施すら危ぶまれる状況となりました。

 そのため、長老格の椎名悦三郎副総裁に後継指名が委ねられます。そして、その答えは福田氏でも大平氏でもなく、弱小派閥を率いていた三木武夫氏でした。最もカネに縁遠いとされたことから、「クリーン三木」に自民党再生を託したのです。椎名副総裁は「神に祈る気持ち」で三木氏を指名し、三木氏は「青天のへきれき」と心境を吐露。選挙を経ず、田中首相の後継が決まったのです。

 現職の総裁が後継をはっきり指名したケースもあります。1964年11月にがんで退任した池田勇人首相は、党内の大勢に従って佐藤栄作氏を後継に指名し、佐藤氏は総裁選を経ないまま首相になりました。また、1987年10月には中曽根首相が竹下登、宮沢喜一、安倍晋太郎のニューリーダー3氏から一任をとりつけ、竹下氏を指名したこともあります。

 そして時代は1990年代から2000年に入ってきました。総裁選の姿はその後、どう変わったのでしょうか。続きは「後編」でやさしく解説します。

フロントラインプレス
「誰も知らない世界を 誰もが知る世界に」を掲げる取材記者グループ(代表=高田昌幸・東京都市大学メディア情報学部教授)。2019年に合同会社を設立し、正式に発足。調査報道や手触り感のあるルポを軸に、新しいかたちでニュースを世に送り出す。取材記者や写真家、研究者ら約30人が参加。調査報道については主に「スローニュース」で、ルポや深掘り記事は主に「Yahoo!ニュース オリジナル特集」で発表。その他、東洋経済オンラインなど国内主要メディアでも記事を発表している。