お盆や暮れに「氷代」「餅代」、ポストを約束
1970年代に入ると、カネとポストを軸にした自民党の派閥政治・派閥支配はさらに強くなっていきます。しかも党内の総裁選どころか、国会議員の選挙でもカネの力で当選を勝ち取ろうという動きが強まってきました。参議院議員選挙・全国区では、「5当・4落」と言われたのも、この頃です。候補の資金力が5億円なら当選、4億円なら落選。それが実態だというわけです。
当時権勢を誇った派閥は、「日本列島改造論」を引っ提げて首相に就いた田中角栄氏(在任:1972年7月〜74年12月)率いる田中派でした。田中氏は金権選挙批判にさらされたうえ、自身の金脈問題で失脚。自民党に対する批判はさらに強まりますが、総裁選での“実弾”攻勢は止まりませんでした。
1970年代〜80年代にかけての総裁選では、誰を支持するのかを鮮明にしない議員に対し、数千万円の現金を渡していた例があったとされています。当時の新聞報道によれば、1987年の総裁選では勝利のために約25億円が必要とされていたそうです。
三角大中福。すなわち、当時の五大派閥(三木派、田中派、大平派、中曽根派、福田派)は、表向きの言葉はどうであれ、結局、カネを断ち切ることはできませんでした。
派閥のボス(領袖)は企業などから巨額の資金を集め、派閥に属する配下の議員には、お盆や暮れに「氷代」「餅代」と称して定期的に資金を配る。そして、各派の領袖が総裁選を勝ち抜いて首相になった際には、閣僚ポストを与えると事前に約束する。そうした仕組みが、派閥政治の名のもとで自民党内に長く温存されてきました。一政党内の話ですから、公職選挙法の罰則も適用されません。