長年祈りを捧げてきた日に平和記念公園から「締め出し」
「これじゃあ、あまりに市民不在の8月6日ではないですか」
1945年8月6日に米軍が広島に投下した核兵器で、父親を奪われた畑口實さん(78)は、訪れた広島市役所で、市職員にそう訴えた。
毎年8月6日早朝に執り行う慰霊行事を主催する「広島戦災供養会」の代表として、今年の開催について協議する場でのことだ。自身は、母親の胎内で原爆放射能を浴びた被爆者。生まれる前から被爆者であり、写真の中の父親しか知らずに、戦後と言われる時代を生きてきた。
広島市中心部、平和記念公園の一画にある原爆供養塔の前で、公園内の別の場所で8時から開かれる市主催の平和記念式典に先立ち、午前6時15分から約1時間、開催してきた慰霊行事。氏名不詳や一家全滅といった理由のため、戦後79年の今も引き取り手のない遺骨約7万柱が納められた原爆供養塔の前で、神道、仏教、キリスト教とそれぞれの宗教者たちがそれぞれのやり方で祈りを捧げ、一般市民たちが自由に出入りして手をあわせる、そんなささやかな行事だ。