教科書に掲載、「バロン西」というレジェンド
今回の馬術競技では92年ぶりのメダルということも話題になりましたが、昭和7年(1932)のロサンゼルス大会で西竹一(にし・たけいち。通称・バロン西)が金メダルに輝いて以来ということになります。
昭和生まれ世代にとって、教科書にも掲載されていた「バロン西と愛馬ウラヌスの物語」についてご存知の方も多いかとは思いますが、あらためてバロン西のことを調べてみると、教科書には書かれていなかったその破天荒な人生には唖然とするばかりです。
なにしろ現地ロサンゼルスではハリウッドの大スターたちと親交を持ち、彼らが来日した際には麻布の豪邸に招き、連日パーティーを開いて饗宴を催していたそうです。少し話がそれますが、その半生を紹介しましょう。中国茶の専売で巨万の富を得た父が西少年10歳のときに死亡、正妻の子ではありませんでしたが、兄たちが早世し、莫大な資産と男爵位(バロン)を相続したのが豪遊人生の始まりでした。
30歳で金メダルに輝きましたが、昭和11年のベルリン五輪後、帰国。軍務に戻り、昭和19年、戦地・硫黄島へ。翌年3月に戦死、42歳でした。クリント・イーストウッドが監督した『硫黄島からの手紙』では、伊原剛志がバロン西を演じています。