過酷な強制労働で苦しんだのは軍人ばかりではない。写真はイメージ(写真:georgia-vallianatou/Shutterstock.com)

敗戦後、ソ連に占領された南樺太では「民間人」が突然逮捕された。さらに、日本に帰ろうとする者、逆に家族との再会を目指し樺太に渡ってくる者が囚人となり、ラーゲリに連行された。軍人などと異なり、組織も名簿も持たない彼らは引揚げ事業の対象外とされ、数百人にのぼるシベリア民間人抑留者は「自己意思残留者」として切り捨てられた。ノンフィクションライターの石村博子氏は、新著『脱露 シベリア民間人抑留、凍土からの帰還』(KADOKAWA)で、実際にあった悲劇を丹念に掘り起こした。

(*)本稿は『脱露 シベリア民間人抑留、凍土からの帰還』(石村博子著、KADOKAWA)の一部を抜粋・再編集したものです。

【前編】「私は日本人だ」カザフスタンの荒野に47年、それでも名前の漢字だけは忘れなかった
【中編】軍人が乗る帰還列車をただ見つめるだけ—引揚事業の対象から外された「民間人抑留者」たち
【後編】「この戦争は負けるよ」両親たちを連れ帰ろうと樺太に密航、教師だった姉の消息は途絶えた

逮捕された民間人、3つのグループ

「シベリア民間人抑留者」はどのように発生したのか。そこには樺太ならではの背景があり、逮捕状況によって3つのグループに分けられる。

 ひとつは、一般人として暮らす元軍人。

 ひとつは、軍隊経歴のない正真正銘の民間人。

 そして3つめは密航者。

 この分類を示しているのが『南樺太地区未帰還者の全般資料』という貴重な報告書である(昭和三十年一月一日調製・北海道民生部保護課。以下、全般資料と表記)。

 全般資料は緊急疎開から始まって、町村ごとの戦災・疎開状況、抑留逮捕の状況、受刑者の氏名、残留邦人の状況など、終戦時の樺太に関して当時わかりうる限りの情報を収集・整理したものである。情報源は主に引揚者からの聞き取りであった。

 なかで「樺太における受刑抑留者及びその入ソ状況」という記録があり、この受刑抑留者が「シベリア民間人抑留者」と直接的につながっている。

 伝えられる状況は次の通り。

 1945年9月、ソ連軍は南サハリン民政局を設置し、官民要職にあった者を逮捕すると同時に、日本人の犯罪調査を積極的に行い始めた。そこで徹底して捜し出されたのが、解放されたはずの元軍人たちである。全般資料にはこう記されている。

「民警(主要各町村に設置)カメンダン憲兵(旧樺太十一市郡に設置した警務司令部の憲兵)及びソ連軍人によって日本人の犯罪調査が活発に行われ、特に正規軍人、武器隠匿者の探索には朝鮮人及び他の者を利用して密告せしめる等、その捜査は極めて厳密であった。」

 軍人であったことを隠し、一般人に溶け込もうとしていた元軍人のもとに、突然民警が訪れ、連行される事態が続出した。戦前日本人によって虐げられていた朝鮮人による密告がとりわけ跋扈していた。