寝室で倒れているのに医師を呼んでもらえず
1953年2月28日の夜、重臣達とクレムリンで映画を楽しみ(スターリン以外が楽しんだかはわからないが)、その流れで夜11時に戻り、宴会が開かれた。当時、朝鮮戦争中だったため戦況の報告などを聞きながら、翌日の午前4時まで宴は続いた。
スターリンはかなり酔っていたが、ご機嫌で、重臣の腹をふざけながら荒っぽく殴っていたというから、いつどのような時でも死ぬ間際までスターリンは独裁的な振る舞いに終始していたことがわかる(スターリンの酒席でのふるまいは常にひどく、庭で飼っていた鳥を撃とうと、銃を持ったものの、ふらついて地面に発射し、危うく仲間を射殺しかけたこともあった)。
その日は日曜だった。午後になってもスターリンの寝室には何の動きもなかった。警護隊員たちは一様に不安になったが、どうしようもない。もし、寝ているところを起こしてしまえば銃殺されかねない。スターリンに何か起きている可能性と自分が殺される可能性を天秤にかければ、誰も声をかける勇気を持ちあわせていない。
「明け方までバカ騒ぎしていたし寝ているのだろう」と前向きに解釈して静観していると午後6時くらいにようやくスターリンがいると思われる部屋に明かりがともる。よかったよかったと胸をなで下ろすが、1時間、2時間、3時間経っても動きはない。
さすがに警護隊員たちも「これはなんか変だぞ」「でも、殺されたくないし」「いやいや、でもさすがにヤバいのでは」と午後10時になりスターリンあてに届いた書類を渡す名目で部屋をのぞくと、スターリンは床に倒れていたのだ。
といっても、絶命していなかった。意識はあったが身動きはとれなかった。高血圧と動脈硬化が悪化し、倒れたのである。血液凝固阻止剤を盛られたとの説もあるが、いずれにせよ、意識はあった。