このたび私 ○○○○年 ○月 ○日 ○○にて
この世におさらばすることになりました。これは生前に書き置くものです。
私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、
一切お送りくださいませんように。返送の無礼を重ねるだけと存じますので。
「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬
思い出して下さればそれで十分でございます。
あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、
見えざる宝石のように私の胸にしまわれ、光芒を放ち、
私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか……。
深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて頂きます。
ありがとうございました。
○○○○年 ○月 ○日
(茨木のり子『茨木のり子の家』平凡社、2010)

 茨木のり子は2006年、79歳で亡くなった。

茨木のり子(1991年2月25日撮影、写真:時事通信社)茨木のり子(1991年2月25日撮影、写真:時事通信社)

 この本には書かれていないが、この挨拶状は彼女の死後、2000枚(!)出された、となにかで読んだ。

 気持ちの表明も感謝の言葉も適切で、見事な挨拶状だ。

「『あの人も逝ったか』と一瞬、たったの一瞬思い出して」くれるなら、それで十分、という言葉に粛然とする。

 彼女の間然するところのない潔さがうらやましい。

すい臓がんと診断された森永卓郎氏

 現在、気になるのは森永卓郎氏の病状である。

 2023年11月、森永氏は「すい臓がんステージⅣ」と診断された。

 CT検査の画像を見た近所の医師は「来春のサクラが咲くのを見ることはできないと思いますよ」と告げたという。こういう無神経なことをいう医者がいるのかと呆れたが、マスコミで生きる森永氏には、逆にかれの病状を引き立てる言葉になったか。

 それはともかく、診断結果に納得いかなかった氏は、翌月、セカンドオピニオンを求めて東京の病院で診察を受けたが、おなじ診断だった。

 しかし「すい臓がんステージⅣ」とはいえ、精密検査の結果、がんの本体がどこにあるのかは不明だった。そこでさらにがん専門の名医にもサードオピニオンを求めたが、結果はおなじだった。

 森永氏には信じられなかった。なにしろ「なんの自覚症状」もなかったのだ。

森永卓郎氏(2021年3月撮影、写真:共同通信社)森永卓郎氏(2021年3月撮影、写真:共同通信社)