国務大臣は天皇による認証官

 国民が議員や知事などを選挙で選らぶ根底には当人の経歴に「偽りなし」という前提が存在する。

 学歴が金銭で売買され、あるいは名誉学位が与えられるなどもあるが、日本ではそのような学歴は通常の学歴としては認められない。

 内閣は内閣総理大臣が任命した国務大臣を天皇が認証されることによって発足(機能)する。

 この儀式は皇居正殿「松の間」において認証官任命式として行われる。内閣総理大臣が御璽の押された官記を伝達し、当該国務大臣は天皇陛下から勅語を賜ることになる。

 天皇の権威は日本が国家として存続する最重要事項で、日本は天皇あっての「日本」で、天皇なき「ニッポン」は文字通り日本ではない。

 その天皇は憲法上は象徴であるが、権力者となる大臣も天皇の認証によって初めて機能するように、権力の上に立つ「権威」的なご存在である。

 小池氏は環境大臣、内閣府特命担当大臣、防衛大臣の3度、国務大臣として天皇から認証されている。

 蓮舫氏は、2度内閣府特命担当大臣に任命され、国務大臣として2度天皇から認証されている。しかも、認証を受けた時点では二重国籍であった。 

 日本の歴史においては昔も今も天皇は「権威」のご存在であり、その存在は内閣総理大臣の親任や国務大臣等の認証として行われ、その儀式を得て初めて機能する。

 従って親任や認証される者に嘘・偽りや欺瞞があっては天皇を欺いたことになる。

 戦前の総理大臣の件でやや事例は異なるが、田中義一首相は張作霖爆殺事案で曖昧な上奏をして天皇の不興を買い辞任に追い込まれ、3か月もしないうちに死去した。

 権威を傷つけたという心の負い目が大きくのしかかったのではないだろうか。

 天皇による認証を受けて国務大臣に就任したという重み、すなわち権威による権力の承認がいかに重いかは重々承知しているに違いない。

 戦前であれば、万一詐称であったならば切腹してお詫び申し上げるほどであった。

 万一にもその権威を蔑ろにしているのであれば、2人の今後における人生は、社会的な死を意味するのではないだろうか。

 戦国時代の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などは国家を武力で抑えていた。時には天皇位の簒奪を心に描いたこともあったようである。

 しかし、権威に服し、権威を借りて国家統治を行ったのである。