長期的に問われる低リテラシーの本質的改善

 今、ここで小池選対あたりがまかり通そうとしているのは、大半の民衆がイリテレート、つまり情報を形式的に公開したところで、内容を判読できない、識字の力を持たない大衆にイメ―ジ操作する「衆愚統治」「大衆オペレーション」のデマゴギー手法そのものです。

 この事実をこそ、学術セクターの立場から、過不足なく指摘する必要があります。

 こんな程度の低レベルで手を打って「情報発出」などしたうえで、2階から目薬などで世論を黙らせてしまうというのは、かつてのエジプト・サダト軍事政権と大差のない、民主主義政体に責任を持つ器では全くありません。

 現職が有利な首長選、候補が乱立し、有力な統一対抗候補が絞れていないなか、小池3選もありうると私は思います。

 それは、大変残念なことですが、東京都民の低リテラシーのバロメーターになってしまうことでしょう。

 もしも、小池候補が3選するようなことがあったなら、中長期的にそうした低見識を克服していくのが、日本社会の次世代育成に課された本質的な課題と言わねばなりません。

 今回の選挙を利権の引っ張り合いのような水準ではなく、地域の、またひいては国の100年を見据えた、未来への投資として考えるなら、低見識な首長とか、どうせ選挙民は誰も分からないだろう、と自分でもチェックしないウソっぱちを発出するような人物は、候補者としてだけでも、資格を疑われて当然と考えます。

 少なくとも「紙っぺら一枚あればオーケー」といった学歴至上主義では、首長候補失格と言わねばなりません。