右派と極右の違いは何か?

 では、右派と極右の間にはどんな区別が残っているのか。決定的な線引きは、民主主義に対する態度だ。

 もしある政党の指導者が選挙の結果を受け入れることを拒み、「ディープステート(闇の政府)」(実際には政府そのもの)を叩き潰したいと考えるとしたら、その人は明らかに極右だ。

 だが、ある政党がリベラル派にとって不快で復古的、さらには人種差別的と思える政策を推進しつつ、それを民主的な政治と法の支配の枠組みのなかでやるとしたら、「極右」という言葉はもう適切ではないかもしれない。

 イデオロギーと政治運動は時代とともに進化する。台頭するこうした勢力の一部は単に、右派政治の新しい顔なのかもしれない。

 ちょうどロバート・ピールが19世紀に英国の保守主義を塗り替えたり、バリー・ゴールドウォーターやロナルド・レーガンが20世紀に米国右派を作り替えたりしたようなものだ。

 政治学者は「オヴァートンの窓」について語る。その時々の主流派の世論によって受け入れられる政策の範囲のことだ。

 トランプやファラージ、RNを率いるマリーヌ・ルペンといった政治家がやったことは、かつて極端な右とみなされた政策が主流となるように、その窓を動かすことだった。

「オヴァートンの窓」を動かす

 これが最も明らかなのは、トランプの「壁建設」政策の変型バージョンが今、西側諸国の議論を形成している移民問題だ。

 多数派が政策に同意している時に、本当にこうした政策をまだ「極右」と呼ぶことができるのか。

 例えば「ナショナル・ポピュリスト」のような別の言葉の方が正確なように思える。

 トランプやその仲間は、ロシアとウクライナに対する態度についてもオヴァートンの窓をずらした。ここでは新たな形態の保守主義と極右権威主義の間の線引きが少し曖昧になる。

 トランプとルペンのような人物は、ウクライナへの支援が国益にかなうと考えない冷酷な孤立主義者であるためにロシアとの合意をまとめたがっている可能性はある。

 だが、こうした指導者とウラジーミル・プーチンとの戯れは、彼の権威主義への敬意を反映している可能性もある。

 トランプは2020年の大統領選で負けた後、紛れもなくその本性を表した。選挙結果を受け入れるのを拒んだこととクーデター未遂をけしかけたことは、トランプが骨の髄まで反民主主義であることを示した。

 上院議員のマルコ・ルビオやミッチ・マコネルなど、もともと主流派だった共和党の政治家は、トランプを支持することで基本的な原理原則を裏切り、自分自身を貶めた。