「悪事を一切認めない」が引き起こす最悪のインセンティブ

 また、もう1つの「0か1か」が引き起こす問題点として、日本に固有の慣習なのか、ぼく自身もよくわかりませんが、「責任を取って死んでしまう」ことが稀にあります。そうすると、「死人に口なし」ということなのか、亡くなったんだから、これ以上は追及をやめようという流れになる。

 言い方は悪いのですが、「この人さえ亡くなれば追及がなくなるので、誰かに責任を取ってもらう」とか「自分さえいなくなれば、ほかの人たちはもうとりあえずお咎とがめなしだ」と思ったら、自分自身を含めある特定の個人を追い込むインセンティブが働きます。

 だからこそ未だに先進国とは思えないような、不透明な自死だったり、他殺すら疑われるような関係者の死亡がときどき起きる。

日本の未来、本当に大丈夫なんですか会議 経済学×社会学で社会課題を解決する』(西田 亮介・安田 洋祐著、日本実業出版社)
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西田亮介:有名なところだと竹下元総理*1の秘書が自殺しています。ちなみに亡くなると警察のリソースの無駄遣いを止めるため、被疑者死亡で捜査が止まります。ですから、確かに安田さんがおっしゃる通り「お咎めなし」である意味「解決」してしまいます。最悪です。

【西田亮介(にしだ・りょうすけ)】
日本大学危機管理学部教授/東京工業大学特任教授。博士(政策・メディア)。専門は社会学。
1983年京都生まれ。著書に『メディアと自民党』(角川新書、2016年度社会情報学会優秀文献賞)、『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)、『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください 17歳からの民主主義とメディアの授業』(日本実業出版社)ほか多数。

*1:竹下登(1924年~ 2000年):第74代総理大臣。かつての自民党の最大派閥、経世会の創設者。消費税を導入した総理大臣として知られる。リクルート事件により内閣総辞職。

 仮に、重要な関係者が亡くなったあとも何らかの形で捜査が続くとか、あるいはメディアも追及し続けるみたいなカルチャーがあったとすると、死ぬこと自体の意味がなくなります。そうすると、究極的に追い込まれる人はむしろ減るかもしれません。

 だから、誰かが亡くなった場合、もちろん悼む気持ちは大切ですが、その人に生前何があったのか、少なくとも疑惑の当事者たちの追及は止めないようにしておけば、あえて責任をかぶって死んでしまう人は生まれにくいですよね。