もし、こうした事実に、自分の履歴にキズを付けたくないキャリア官僚が気づいたなら、「こりゃ堪ったもんじゃない」と思うかもしれない。

 さらには、「ともかく年度末まで引き延ばそう」と牛歩戦術に邁進しても、取り立てて不思議ではないと思います。もっとも、実際に鹿児島でそういうことがあったかどうかは別です。

 それはそれとして、今回「ノンキャリの星」本田氏60歳から、公益性をもった通報があった際、反射的に「守秘義務違反」と応じてしまったのは失敗でした。

 すでに筋道では野川氏の負けは見えてしまっています。

 何より、ここまで目立ってしまいましたから、もう同期の間での「コトナカレ競争」では何馬身かの後退を免れません。

 もし仮に、野川氏がそのような「県警内不正数の隠蔽」をしていなかったのであれば、このような強権的な方法を取らずとも、いくらでも他に手法はあります。

 常識的に記者会見を開き、適切に法的手続きを踏む、と県民、納税者、国民に説明すればよいでしょう。

 また、もし本当に野川氏が「隠蔽」を実行していたのであれば、そのものずばり、自らの不正を隠蔽するべく、正義の公益通報者に不利益を強いており言語道断。

 何にしろ、いきなりなりふり構わず相手を「逮捕」し「罪人」扱いして、その情報をメディアに流すというのは、戦前の欽定憲法ですら是としない、江戸時代のお裁きそのものの封建体質、民主的な手続きではない。

 これはまさに、かつて戦時中、團藤重光教授が直面し、戦後の刑事訴訟法改正で徹底された、客観的な証拠に基づく精密司法の精神と正反対、レッテル貼りの結論ありき、で「悪者」を作り出す体質そのものです。

 そしてまた、この同じ体質が、今まさに再び問われている、58年前「袴田事件」での静岡県警、そして58年が経過しても全く改まらない、2024年時点で検察が取った袴田再審「死刑求刑」と同根である事実に注意すべきでしょう。

 つまり、「お上の仰せゴモットモ。アイツがワルでキマリです」という、およそ時代錯誤的な反民主的狂犬、もとい強権発動と見られかねない仕儀になっている。

「もしそうなら・・・」という仮定の議論を、故・團藤重光先生ご在世であれば、という観点で、本稿では立論しているものです。

 リアルな本件は現在動いている最中の事案ですので、続報を注視したいと思います。

 ここではあくまで国家公安委員会の発表資料だけをもとに、客観事実だけに基づいて議論していますが、まだまだ問題がたくさん残っており、折があれば別論としたいと思います。