(柳原 三佳・ノンフィクション作家)
5月11日の夜から12日の未明にかけて、日本ではめったに見られないオーロラが全国各地で観測されました。さまざまな色に変化した夜空の写真がニュースやSNSで紹介されましたが、どれも驚くほど幻想的です。
【参考:外部リンク】オーロラ 北海道名寄町や陸別町で観測 夜空が薄紫色に変化 「太陽フレア」の影響で(NHK:2024年5月12日)
上記記事の中で、北海道陸別町にある銀河の森天文台の津田浩之館長は次のように話しています。
『ここ数日、太陽の表面で「太陽フレア」と呼ばれる爆発現象が起きた影響で地球の磁場が乱れる「磁気嵐」が発生し、北海道のようなふだんより緯度の低い地域でもオーロラが観測できた』
これを読みながら、「なるほど……」と、わかったようにうなずいてはみたものの、そもそも「太陽フレア」が何なのか? 「磁気嵐」ってどんな嵐なのかがさっぱりわかっていない私には、低緯度の地域でオーロラが見える理由が理解できるはずもなく、ただただ、各地から届く美しい空の写真を眺めながら感動するばかりでした。
太平洋上でオーロラを見ていたサムライたち
さて、「オーロラ」といえば、今から164年前の1860年、幕府から遣米使節*1としてアメリカへ向かっていた日本のサムライたちが、太平洋上で偶然にも目撃していたことをご存じでしょうか。
*1 「万延元年遣米使節」/1860年、日米修好通商条約の批准書交換を目的に、幕府がアメリカへ差し向けた77名の使節団
それはちょうど、ハワイからサンフランシスコに向かう航路の途中でした。太平洋、しかもその緯度でオーロラを観察できること自体珍しかったようで、日本人使節たちは甲板で、真っ赤に染まった夜の空を見上げながら、感嘆の声を上げていたようです。
彼らの航海日記には、そのときの光景が、それぞれに驚きをもって記録されています。中でも、蘭学をきわめ、高度な天文学を学んでいた、いわゆる「テクノクラート」的な従者たちの記述を見ると、幕末期とはいえ彼らがいかにこうした現象を科学的にとらえ、理解しようとしていたか、そのレベルの高さに驚かされます。
特に、本連載の主人公「開成をつくった男 佐野鼎(かなえ)」は、その筆頭といえるかもしれません。