芥川は「老獪な偽善者」と批判

 芥川龍之介は『或る阿呆の一生』のなかで「『新生』の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった。」と非難しています。「老」は「経験を積んだ人」という意味で、「獪」はケモノのようにずる賢くて悪賢く、しかも手が早いことをいいます。

 懺悔してしまえば許してくれるというような文学は、芥川が目指した文学とは全く違います。林真理子さんのように読者を楽しませるエンタメだと思って書いているのならいいのですが、それが自然主義だと、自分たちは正しいことをしてると信じきっているのでなおいけないのです。太宰治はみっともない自分、駄目な自分を洗いざらいをさらけ出すことでお金を稼ぎました。ですから太宰の作品も僕はエンタメだと思います。

 ありのままに洗いざらい全部書く。それは文学ではありません。書くのはいいけれど、小説にするな、SNSに上げるな、と言いたいです。

 こんなふうに藤村について書いてきましたが、実は私、藤村が結構好きだったのです。特に評価しているのが旧家の没落を描いた『家』(明治44年)という、藤村の悪いところを突き抜けた作品です。

 藤村は明治5年(1872)、岐阜県に本陣、問屋、庄屋を兼ねる旧家に生まれます。江戸から明治になって身分制度が廃止され、庄屋だった家を守っていくのも大変でしたし、小作人たちとどう接していいのかも藤村はわからなかったのです。

『家』では、自分たちが置かれていた身分制度のなかで、その良くないところや封建主義的なところを描き出しています。そして結局自分もそういう価値観から抜け出せなかった。自分はどう人と対処していいのかもわからなかった。そのことに気がついて、プルーストの『失われた時を求めて』と同じ境地に辿り着くのです。

「失われた時」というのは、自分を育てた時代のことです。江戸末期から維新が興って家長である父親が悩んでいる姿を藤村は見てきました。父の姿を見ながら自分はキリスト教に目覚めて、若い時には「ちゃんとした世界を作らないといけない」という理想に燃えていたけれど、でも本当は誰も自分を相手にしてくれなかった、自分は最低な人間だということを認めた作品だと思います。

 こんな逸話があります。藤村は担当編集者に対してとても腰が低かったそうです。玄関までお見送りして「どうぞよろしくお願いいたします」と言って、編集者が帰るまで頭を下げ続けたのです。

 庄屋の出のため、自分たちができないことを小作人たちがやってくれたということがあるので、本を作ってくれる人に対して感謝があったんだと思います。優しい人だったとは思います。

『家』を書いた年に妻・冬子が亡くなり、こま子が家事手伝いとしてやってきます。その後、『桜の実の熟する時』や『新生』で、洗いざらいなんでも書いてしまったのですが、筆力もあり、すごい感性をもった藤村は、「小説」ではなくトーマス・マンのような深みと哲学をもった「大説」が書けたはずだったと私は思っています。