先輩2人がアルコール中毒で亡くなっていたが…

 福永氏は電通在籍中、テレビショッピングで有名な通販会社J社を東京のキー局に出演させるため尽力した。当時、東京のテレビ局やラジオ局で通販番組は低俗なものとして考えられており、放送コンテンツとしてふさわしくないものだと捉えられていた。

 そのため東京進出は困難を極めたが、見事、関東キー局で初めて平日午前中の通販番組を誕生させることに成功。これによりJ社の売り上げは急伸する。

 ほか他にも衛星放送に関わる取引先企業が行う新規ビッグプロジェクトの営業担当として、当時の米トップスターへの広告出演契約の交渉など数々の仕事をこなしてきた。

 順風満帆にも見えた筆者だが、ある日取引先とのトラブルを理由に、小さな広告代理店に出向させられてしまう。これを事実上の左遷だととらえた福永氏。もともと酒好きだった彼は、この頃からアルコールへの依存度が高くなり、酒がやめられなくなってしまう。福永氏の周囲では、電通内の2人の先輩がアルコール中毒で亡くなっていた。

2人には共通の口癖があった。
「俺は、酒やめないよ」
そして、彼らは現役の電通社員のままで死んだのだった。酒を飲むたびに、先輩方の顔がちらついた。

早期退職の数日後に妻から三行半

 定年をあと数年後に控えた頃、福永氏は早期退職を決意する。電通を去る日、彼の頭にはこれまで担当したクライアントと、その担当者たちの顔が浮かんだ。

 仕事とは別にプライベートでも困難が訪れる。退社してから数日後、福永氏は妻から離婚に関わる公正証書を突きつけられた。夫婦喧嘩のたびに妻へ投げつけてしまった暴言を思い出し、福永氏は以下のようにつづっている。

後悔とやるせなさがとめどなくあふれ出た。私が彼女に対して行なったのはパワハラ・モラハラだっただろう。私は気づかぬうちに、彼女の心をぼろぼろにしていたのだ。