春の訪れを告げるセンバツ高校野球が始まる。

 出場校で注目されるのは、能登半島の輪島に学校がある日本航空石川の選出であろう。被災地の方々に励ましを与えられるという選考理由もあり、昨秋の明治神宮記念大会で同じ石川県の星稜高校が優勝し、自動的にセンバツ出場の出場権を得ていたこともあり、石川県から2校が選出された。

 ただ、野球強豪校にありがちな話ではあるが、日本航空石川には地元石川県出身の選手がほとんどいないのが現実であり、それが寂しいという声も地元では上がっている。

 そうした中で筆者が注目しているのは和歌山県から選出された県立耐久高校と県立田辺高校の公立2校である。

昨夏の県予選「初戦敗退」からの大躍進

 耐久高校は春夏を通じて初の甲子園出場だ。田辺高校は春は1947、48年の連続出場から76年ぶりで、今回は21世紀枠での出場となる。夏の甲子園には過去に1度出場したことがある。

 まず全国的には名前を知られていない耐久高校であるが、ペリー来航の1年前の1852年、2年後に千葉県銚子のヤマサ醤油の当主となる濱口悟陵氏(はまぐち・ごりょう)ら3人が設立した稽古場「耐久社」が前身で、紀州藩の藩校の流れを汲む現・県立桐蔭中学校・高等学校を除けば、和歌山県内でもっとも古い歴史を誇る学校といえる。

 野球部の創部は1905年だが、これまで一度も甲子園の土を踏むことはできなかった。甲子園に出場するためには、春のセンバツ大会なら、前年の秋に行われる和歌山県の大会で優勝または準優勝して近畿大会に進み、そこで上位に食い込むことが大前提だ。そのうえで毎年1月に行われる選考会で選ばれれば出場が叶うことになる。

 夏の選手権には、もちろん各都道府県ごとの予選で優勝すれば出場が叶う(北海道と東京都は2校選出)。

 では耐久高校はどうだったか。昨夏の甲子園和歌山県大会ではなんと初戦敗退だった。